広島県福山市パドメツアー☆ご報告 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。



6月15日(土)
広島県福山市の皆さまに呼んでいただき
遠征パドメツアー
決行いたしましたぴーす.gif 

あいにくの雨でしたが
これも浄化の雨とポジティブにとらえ
まずは
阿伏兎観音
   
岬の突端にあるので、入口も狭いです。
まずは、皆さまでお線香を・・・
 
お線香の煙にのせて、皆さまの日々のモヤモヤを昇華します。

祠の後ろに赤い階段が見えますね?
あれを昇っていきます。
 

どこに昇るかというと、ここです ↓
 
あの上から見た景色が
こちら ↓
 
柵はあれど、膝下くらいしかないので、かな~り怖い(笑)

ここは、女神が降り立った場所・・・と感知
本尊は十一面観音だそうですが
十一面観音=瀬織津姫(稲田姫)?)
神も仏も同一だと、最近、つくづく感じます。
なので
一人一人にこちらで十一面観音の
慈悲のエネルギー玉をお入れしました
エネルギー玉を作る時に天と繋がりますので、
その波動を受けて
私の身体が前後に揺れるんです・・・
ちょっと大揺れしたら、海に落ちそうです(笑)
私もハラハラ
皆さんもハラハラ(笑)

ここは、母乳がたくさん出ますようにとの祈願で有名だそうで
堂内には、祈願のおっぱいがいっぱい
 
ですので、皆さんの祈りが天に届きますように
みんな一緒に、ヨロチクビー
 
女神さまもきっと、
その笑いの精神をしっかりと受けとめてくださるでしょう。
(神様はお笑いが大好きです

ここを行く先として決めてくれた主催の方が由緒などを調べていて
源平の合戦場だったことを発見しました。

『沼隈町のくらしと伝承』より
【源平能登原合戦】
屋島の戦いに敗れた平家は、鞆(とも)に陣を張ったが、
源氏に攻められ能登原(阿伏兎観音の地)に陣を移した。
源氏は軍を二つに分け、その一団は鞆に陣をしき、
別の一団は那須与一を大将に、田島内浦に陣をしいた。
二日目の夜、田島側より、
何十本ともみえる白旗がこちらにやってくるのを見つけ、
「敵が来た!」と急を知らせた。
平家の陣は急に騒がしくなり、強弓を射かけた。
いっこうに手ごたえがないので、じっと沖を見ると、
白旗と見えたのは、
かがり火に驚いて田島より飛び立った白鷺の大群であった。
ほっとしてその夜は全員ぐっすりと眠った。
次の日の夜明け、鞆にいた源氏大軍が能登原に攻めこみ、
不意をつかれた平氏は、
田島からの数百隻の源氏軍船にも攻められ、
方々へ逃げていったという・・・(山中へ・・・)


源平の因縁の場所だったとは・・・
だから雨が降ってて
 
平家蟹さんが来てくれたのかな?
(見つけた時は、靴の中にいた(笑))
 
他にも小さい蟹がたくさん足元に来てました。

この中に出てくる『鞆(とも)』は、今、鞆の浦といって
『崖の上のポニョ』(YouTube動画)で、宮崎監督が舞台にした町。
なので、ソウスケのお母さんが大波の波間を疾走した
海辺の道路とか、「あ~!これこれ!」ってカンジです
(実は、翌日、主催の方と二人で満喫しました)

このあと、ランチへ。
食事をしながら、クイズを出して
正解者には、ヒーリング無料券をプレゼント。
当たった方々、いつでもどうぞ~



午後から参加の方も加わり
素盞嗚(スサノオ)神社へ・・・
 
創建年代は不詳。(素敵な響きだ
備後風土記に「疫隅の国の社」と記載されている。
また「江隈の牛頭(ごず)天王社」「須佐能袁能神社」ともいわれる。
(牛頭天王=スサノオです)
蘇民将来の「茅の輪」伝承発祥の地ともされる古社。
明治初期までは神仏習合(これが真)で
「早苗山天龍院天王寺祇園社」と呼ばれていた。
なのでもちろん、祇園祭りを行うそうだ。

ちょうど、茅の輪の季節になりました。
ぜひ、皆さま、神社へ足を運んで
上半期の厄を落としましょう。

一人、エネルギーに敏感な方がいまして
神気をすごく感じるとおっしゃると
他の方も、感じてみたい~~~と・・・
なので、その方に感じてもらえるように
周囲にエネルギーの流れを作ってみました。
すると「うわぁ!わかった!!」と、体感していただけたようで
大成功ぐー.gif 
私も嬉しいです

皆で参拝をしてから
まだ少し雨が降ってたので、この軒下をお借りして
 
スサノオのエネルギッシュなパワーを玉にしました。
そうしているうちに
雨もやみました(*^^)v

終わって、感謝の祈りをしていたら
結界を張り浄化をせよ
とのご指示があり、
皆さまにはご歓談していただいて
私はぐるりと境内の隅を歩きました。

ここで、見つけました・・・
 
玄武です。
この社には何も説明がありませんでしたが、
ここは妙見宮だったのでしょう。
あとから、私から妙見菩薩の話を聞いた参加者の方が
「広島県で妙見宮を探したら、行ったスサノオ神社が出た!」
とおっしゃってたので、やはり( ̄∀ ̄)v
妙見信仰とは
妙見菩薩=瀬織津姫?

 
出雲(縄文)の神々(天照以前)の神社ではよく見る
逆立ちの狛犬ちゃん



最後に行ったのは、吉備津神社
神社の外にあった弁財天らしき社
 
女性には、こちらのエネルギーも欲しいわね
 
橋を渡って
 
まぁ眉と目が麗しくなるのかしら?
皆さまにこちらの社で、エネルギーを降ろしました。
ふと気づくと
屋根の瓦が・・・牛っぽくない?
 
女神を護っているのかしらね?

そして、吉備津神社の拝殿へ一緒に参拝して
皆さまにエネルギーを降ろしました。
 

吉備津神社は広いです。
隅々まで行くのは、皆さまに申し訳ないので
引き寄せられるままに少し散策してみた。
   
太陽が出てきましたね

こちらがすごく気になる・・・
と思ったらピカー
   
多理比理神社
ご祭神が、
息長帯比売(おきながたらしひめ)=神功皇后
   (八幡神社の祭神の応神天皇の神憑り母)
息長日子王(おきながひこのみこ)

調べようかな~と気になっていた息長氏
ここでお会いできるとはm(_ _)m

でも、この石碑にもあるが、
祭神がこのお二人なのかどうか
本当はわからないらしい。
しかも、
もとは品治郡服部村大字服部本郷神子原(ミュバラ)
(現 福山市駅家町服部)に鎭座していたが、
社が荒廃し、吉備津神社の境内に移されたとか・・・
また一説には、
元々の吉備津神社がこの多理比理神社だとする考えがある。
つまり品治郡宮内村(現 芦品郡新市町宮内)に
当初より鎭座していたとする見方もあるらしい。

吉備津神社は、
全国で随神門が二つある。
神無月に全国の神々が出雲大社に集合されたとき、
祭神の吉備津彦命のみが欠席したので、
心配した大国主命が二人の使者を派遣したところ、
備後国は大祭の最中で、二人の使者は歓待をうけ、
以後、吉備津彦の親衛の門番として仕えるようになり、
上下の随神門が造られた、との伝承がある。
どんだけ楽しい宴会だったんだろう?(笑)

岡山の吉備津神社HPにあった
吉備津彦の温羅(ウラ)退治
絵本形式で面白い・・・が、
封じ込められたままの温羅が気になる。

で、帰り際に、い~い太陽だったので
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三か所を回ってパドメツアー終了1027.gif 
雨から始まったけど、
その雨も意味があったんだなぁとつくづく感じました。
(源平の因縁を洗い流す=蟹たちの歓迎)
あの雨の中をがんばって昇った観音堂は
良い思い出になりますね
またお会いした時に、笑って話せるネタになりますね
共に苦労した話というのは、
いつまでも絆をつないだりするものです。

皆さん、翌日も仕事があるので
行ける人だけで打ち上げへ・・・
そちらでも
人生を明るく楽しく生きるために
たくさんお話をさせていただきました

参加していただいた福山の皆さま
本当にありがとうございました
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主催の方
大変お世話になりました
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またお会いできる日を楽しみにしております

皆さまに
光が降り注
ぎますように