あの山とは・・・(大磯・高来神社) | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。





友人が、天気の良い日にベランダで写真を撮っていて
紫色の光が写っていて、
綺麗な写真を送ってくれるのですが
ここ何週間か、

ずっとこの山が写り続けているのです。

それが、だんだんと
日を追うごとに

二重になってきてました。


 

 

この二つの山を見て

思い出したのは

神奈川県の大磯にある

高麗山!!

そのふもとには
高来(たかく)神社
という神社がありますが

どう考えても、高来は、

こうらい=高麗 

と読むのがが正解でしょうね。


でもこの山は

高麗と書いて

『こま』と読む。

 

地名も

高麗と書いて

『こま』と読む。

 

 


説明によると
7世紀頃、高句麗(高麗)が戦争に負けて
多くの亡命渡来人がこの大磯の浜に着き、
定住したそうだ。
なので、大磯のこの神社周辺の町名は、
高麗(こま)という。

なんで、こま?

実は、私は高校生の頃、高麗の住民だった。
でも、この神社のことは全然知らなかったし
今住んでる近所の

神社仏閣に詳しい整体師さんから教えてもらわなかったら
まったくノーマークだった。

 



何も情報ないままに行った高来神社・・・

神奈川県の紹介ページより抜粋 ↓ 
当社初神の神は此の国造の祖先の系統に係れるは
勿論殊に建国の大業を成し給える皇祖の神に坐しませるは
則ち此国造等が創祀し奉れるならん。
(中略)
江戸時代徳川家より百石を受け、

葵の紋を用いている。
天正十九年の古文書あり。
天海大僧正

直筆の十三條の書なり。
全文はコチラ

 

葵の紋があって、ビックリですわファイル0020.gif


神武天皇(初代天皇、BC660年頃)の時代には
すでにこの高麗(こま)山をご神体として祀ってあったとか・・・
国造の祖先の系統に係れる・・・うんぬん
古い言い回しだから、

おバカな私はよくわかんない。



この神社は、拝殿が2つ並んでいる。
その後ろにご神体として山も2つ並んでいる。

木でわかりづらいかもしれないけど
拝殿が2つあるの、わかるかな?
(左は屋根しか見えない)

 

二つの拝殿の真ん中から

道が二手に分かれて
左側から男坂

右側から女坂

と、登る道がある。

頂上の真ん中に本宮があったそうだが今はない。


左側の拝殿が、今は本(拝)殿になっている。


右側の拝殿は、何が祀られてるのかさえ表記がなく
固く閉ざされている。



蝶に連れられて女坂へ登ってみた(笑)
(←これはもちろんズーム撮りです(笑))


頂上へ・・・


東天照という場所が
2つ並んだ山の女坂の頂上・・・

読んでビックリファイル0020.gif
白山社があったと!!
白山神社=ククリヒメ=セオリツヒメ=イナダヒメ
と、記事にしたばっかり。
水仙がたくさん咲いてて、甘い香りに包まれました。

先日もらったお守りが

偶然にもコレ!
 
このお守りはどちらの?って聞いたら
「大分の宇佐神社ですよ」って・・・
これがまたつながったんだなー
それはまたの記事にて。

ここが白山社だったということは、
隣の頂上はスサノオなのでは???
でも、山登るなんて思わなかったから
ブーツで来てしまった・・・(滑って危ない)
また日を改めて隣の頂上へ行こう。



神社へ戻ります。


境内の中に並んでいた小さな祠・・・

左が神明社  右が龍神社
と書いてあった。
神明社って、アマテラスだよね?と思った瞬間
ぐるん0140.gifぐるん回されて
「ちがうぞ。わかるだろう」
あ・・・そうか。
既成の概念や後から変えられた名称・祭神に
惑わされてはいけませんね。


掲示板にあった女神像と男神像
 
やはり、夫婦神
やっぱりーラブラブ
ラブラブ道祖神



そしてこれ!

牛王宝印(ごおうほういん)がある。

お寺だった証拠。

 



とりあえず
いったん家に帰り
翌日また男神の山頂へ行きました。
その記事はまた次回・・・