国民性と個人差のはざま | ゆうきの韓国スケッチブログ

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ソウルに住んで16年目の日韓夫婦。韓国の日常をつれづれなるままに文字や写真やイラストでスケッチしていきます。

韓国に住む日本人という立場で発信している関係上、どうしても「日本(人)はこう、韓国(人)はこう」という語り口が多くなってしまいます。
そんなとき、決まって受けるのが
「自分は韓国人だけどそんなことないです」
「過度な一般化はどうかと思います」
「人によって違います」
というご指摘。

実に実にごもっともだと思います。
僕も何かにつけて、ある集団全体にレッテルを貼るような行為(とくにヘイト目的で)はすごく嫌いです。

あくまでも一人一人の個性が集団のイメージによって埋没してはいけないと思います。

なので「日本は」とか「韓国人は」とか、いわゆる「大きな主語」を使う時は細心の注意を払うようにしています。



ただ、全てにおいて「人によって違う」という言葉を使い出したら、そもそも文化の話自体出来なくなってしまうのも事実。


一人一人の違いが存在するということは大前提。ただ、ズームアウトした時に、その集団の持つ「雰囲気」というか「傾向」というのは確かに存在すると思います。

実際、企業が海外進出するときなども
国民性を考慮したマーケティングを行います。
ここで「みんながそうとは限らない」「人によって違う」という言い分を持ち出すのはかなり非生産的だと言わざるを得ません。
語学教師のあいだも「○○人学生の傾向」というのは、教える上でかなり重要な知識となります。

もちろん目の前にある個性が最優先だとは思いますが、知識としての「国民性という傾向」は知っておいたほうが賢明だと思います。

赤や青の小石が混ざっている中で、
全体的に赤っぽく見えるのか、青っぽくみえるのか、
そういう脈絡に立って文化の違いを語るのはアリかなぁというのが僕の意見です。