答えは自分の中にある。



どうしようか迷ったとき
わからなくなったとき
途方に暮れそうになるけれど

本当にしたいこと
その答えは
意外ともうでてたりします。

心が
魂が?
知ってる
わかってる

ただ僕たちは答えを出すのは頭だと
無意識にそう思っているから
論理的で無駄のない
そんな思考で導いた答えが
正しいと思ってしまうから
どうしても迷う

ココロの声を頭の声で邪魔をするんです。

答えはもう出てるから
あとはそれを表にだしてやるだけなんです。
誰かに背中を押してもらったり、自信や根拠を見つけたら
ココロとアタマの声が一致したら
本当の魅力が出始めます。

モヤモヤしてる時
自分に聞いてみてください。

本当は何がしたい?
ココロの声は聞こえてる??
それを選んだ自分はワクワクしてる???

答えは実は外じゃなく内側にあるかもしれません。

ではでは(・∀・)







iPhoneからの投稿
変化はいつだって水面下で起きている。



僕は最近人生での変化の時期を迎えているようです。

変化というのは文字通り変わることなのですが
細かく見ると変わるという現象は破壊と創造という機能を持っています。

古かったものが壊れ
それに代わる新たなモノが作られる。
人間の身体だって毎日たくさんの細胞が壊れ
また再生しています。


粘土遊びのように
ぶっ壊して
作り直しーってなったらわかりやすいですが

人生の中で起きる変化は
しばしば長い時間を伴って少しづつ変わっていくのでわかりづらいです。

もちろんとてつもなく急激な変化もありますが・・・(ひゃー)

ただ、ずっと前から裏で変化は始まっていて
溜まった歪がある時表にでる時が来る。
そういうものかと思います。


・体調があんまり良くない
・今まで普通にしてきたことに何故か異和感を覚える
・いつもの風景を見てるのに違った感覚を覚える
・やたら眠い(または元気)
・なにやらそわそわする

こういうときって
なにか大きな変化が迫っている
あるいは
すでに変化の渦の中にいることが多いそうです。

世界はどうしたって変わっていくものです。
変わるのは怖かったりもするけれど
どうせ変わるしかないのなら
変化の過程を愉しむくらいの余裕があったっていい。

とはいえ余裕なくなりますよね(苦笑)

ではでは(・∀・)

子どもは大人の父である。ワーズワース


ケンタッキーの創業者として有名なカーネルサンダース。
彼がフライドチキンの営業を始めたのは64歳の時だったそうです。


このことから何を感じるでしょう?

人生に遅すぎることはない。
いつだってチャレンジできるんだぜ

ってことでしょう。

そのとおりだと思います。
ですがあえて僕は違った見方をしてみようかなと思います。


僕の解釈は・・・
初心に戻れ
です。

学ぶという行為は
知らないことを知る
とか
できないことをできるようになる
時にすることですよね?
初心者のすることです。

と言うことは
なんでも知ってる完全無欠のパーフェクト人間は学ぶことはできないんです。


チャレンジというのは
もちろん色々なパターンはあると思いますが
新しいことに挑むと言う意味で
ゼロからのスタートだと思います。
その意味でチャレンジャーは皆初心者です。

ゼロから少しづつ積み重ねていく
学んでいく・・・
逆に言えばゼロの状態にさえなれば
どんな時、どんな状態でも
それはチャレンジになるのではないだろうか・・・

挑戦、チャレンジという言葉には
どこか無謀で大きなことにトライするというような
雰囲気がありますが、
こう考えると今いる場所、今いる環境でチャレンジは意外と簡単にできるのではないでしょうか。


もちろん、大きなことにトライするのは
素晴らしいことです。

ただ僕みたいなチキンも結構いるんじゃないかなって
思うんですよ・・・(いないか)
そんなとき、いきなりが恐いなら
すこし小さなステップを踏んでみてもいい。

先輩になったって
上司になったって
大人になったって
完璧になったわけじゃない。

すべてを捨てて賭けに出るのは
大きくなればなるほど難しく
勇気のいることだけれど

気持ちだけでも
心だけでも
初心に戻れば
ゼロに近づければ

たくさんの新しい発見や
別の方向性は見えてくるはずです。

大きな一歩が怖いなら
小さな五歩で代えるまでです。

小さな小さな変化がやがて
大きな革命を起こします。

初心に戻れ

ではでは(・∀・)

失う覚悟のあるものはすべてを得る。執着するものはすべてを失う。イエスキリスト


何かを手にするために僕らは努力をすることができますが
その方法って様々です。

お金を貯めるとか
勉強するとか
自分磨きとか
とりあえず取りに行くとか


でも本当に必要なものを手にする時って
意外と自分の力でもって獲得すると言うより
偶然やってきたりするんですよね
引き寄せるといいますか・・・


そういうときに大事なのって
それを手にしようと
意識することも大事ですが
それが自分のもとにやってくるための
スペースをあけてやることかもしれないと思います。

いざ目の前に欲しいものが来た時
手がふさがっていたら
ゲットできないです。
準備ができるということは
意外と大事なことかと思います。


ではでは(・∀・)


断つことを決めると書いて決断と読みます。



人生を生きていれば未練というものを経験することは多いと思います。

物への未練
人への未練
出来事への未練

そんなふうに
うまくいかなかったことを
なかったことには出来なくて

引きずってしまう。

引きずりたくないのに・・・




・・・・本当に?



・・・ほんとに引きずりたくないって思ってますか???



僕もそういう経験をしたことがあって
その当時は思いもしなかったことに
振り返ると気づきます。


本当は自分で好きで引きずっていたんだって。



傷ついたことに嘘はなくって
とてもとても苦しかったのだけど
本当の本当に自分の幸せを願うなら
どんなに辛くても切り替えるべきなんです。
前に進むべきなんです。

でもできなかった

いや

しなかった
自分の意志で

結局僕が思っていてことは
失ったもの、それ自体の大切さではなくて
何かを不幸にも失ったかわいそうな自分だったんだと思います。


被害者でいたかった
かわいそうな状況にいる自分はかわいそうなんだよと
まわりにアピールしていた。
精一杯のSOSだったのかもとも思います。
(正しいやり方ではないと思いますが・・・汗)

そうすることで何が変わるでもないのに・・・
自分だけ不幸で良いわけないんだから
助かって、助けてもらえて当然だ
だれかが助けに来るなんて
そんな他力本願で浅はかな願いを持って
不幸な奴でいることを
選んだんです。
自分で。


それが僕の場合の未練の正体です。


自分の意志で
前を向かなきゃ
歩いていかなきゃ
どこにどんな道があるかだってわからないんです。
救いの道があったって
座り込んでたら
いつまでたっても道は進めないんです。



そこで座ってていいんですか?
立つのは自分です。
断つのは自分なんです。


ではでは(・∀・)