私の大好きなおじいちゃんが亡くなりました。

最後に会ったのは去年の夏。

ちゃんと会えててよかった


連絡をもらったのは日曜の夜。とりあえず、週明け仕事に行きつつ、親と連絡取り、どうするか相談。お通夜?葬儀?みんなで行く?やめとく?

実はおばあちゃん亡くなったときは、コロナが流行り始めた時期でお葬式行けなかったんだよねショボーン(実の娘である母ですら行けなかったから、仕方ない)


来ても大丈夫ってことになったので、急いでホテルの予約🏨出発日はもともと長女の授業参観があり午後半休だったので、授業参観後向かうことに。喪服、香典、数珠とか準備も大急ぎ!長女の服がなくて、西松屋にも行きました真顔ここで、行かない予定だったたけさんが行けることになり、喪服持ってきてーって展開無気力無気力無気力荷物が...。


さぁ何だかんだで、出発!(保育園に次女を迎えに行ったら、「おやつのケーキ食べる!」と駄々こねたよねネガティブ結局食べてる間にコンビニ行って、お金下ろして、黒タイツと飲み物買った 笑。)在来線→新幹線→たけさんと合流して新幹線の長旅でした。車も遠かったけど、電車も遠かったチーンしかも、最後の新幹線到着駅は在来線が1時間に1本しかなくて、タクシーも呼ばないといないっていうね。結局、ホテルまでタクシーにしました。


お通夜、葬儀会場はホテルから歩いて行ける距離にあって(偶然)、両親が会場に泊まっていたけど、子供も疲れてるだろうからってお通夜は行かなかったです。遅かったのでコンビニのご飯食べて、お風呂入って寝ましたふとん1


翌朝はホテルご飯食べて、準備して、会場に向かいました。てか、寒すぎる⛄️家を出発したときは、もう春❗️上着なんでいらない‼️って感じだったのに、この日は最高気温5度ゲロー落差が激しい。


おじいちゃんはきれいな顔で寝てました照れだいぶ痩せちゃったけど、ちゃんとおじいちゃんでした。昔の写真がたくさん飾ってあって、懐かしかったです。びっくりしたのが、35年前のおじいちゃんが孫に囲まれている写真📷私は次女にそっくりだし、弟は妹の息子くんにそっくりびっくり血が繋がってました 笑。私の大学時代、結婚式、長女と初めて会ったとき、いろんな写真がありました。


感受性が強いのか、次女号泣えーんそれを見て、みんなも更に泣く、という流れが二度程起こってました。最初は「もっと一緒に遊びたかったショボーン」とか言って泣いてたのに、火葬後は「焼かれたくない、死にたくない凝視」と泣いてました。うん、ママも死にたくはないけど、人はいつか死ぬから、やりたいことやって、楽しく生活しよう!って励ましときました。←適当になってしまった無気力


棺には前に長女と次女が書いて渡した手紙が入っていました。当時はもう自分で読める状態ではなかったので、後でおばあちゃんと読んでくれることと思います。あと、おじいちゃんが好きだった和菓子と野菜の苗も入っていたので、おばあちゃんと農作業して、お茶休憩して、たまに子供や孫、ひ孫の写真を眺めたりなんかするんじゃないかなおねがい


めっちゃばたばたしてしまったけど、子供たちと一緒に参列できてよかったです照れ