四十路日記

今の世の中、いつ自分の子供が被害者にも、加害者にもなるかわかりません!

何も無いに越した事はないですが、実際に加害者の親になってしまった立場から

事件の事を綴ってみました。


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犬と私の10の約束

 
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白いカーネーション

 
 
先日父の納骨をすませてきました。  
  
 父が存命のときにはそれほど思わなかったけれど、 
いなくなってしまって始めてその存在がいかに大切なものだったのかということを知りました。
 
 
 今日は母の日。 
私の母はまだまだ元気です。 
今日、家内は母に赤いカーネーションを贈ってくれました。 
 
 いつの日か、母の日に白いカーネイションを贈る日が来るのかもしれません。 
smile387さんのブログを読んでいて、また、父を失くした後に知った喪失感から、 
生きている母に、今できる事を精一杯しておこうと思った日になりました。 
白いカーネーションを贈る日が来る前に、、、、、

父を偲ぶⅢ 

救急車で公立の大きな病院へ搬送された父は、 

救命病棟へ入院することになった。 

 

その時、 

病院まで付き添ってくれたホームの看護士長もまた、 

父が二度と帰らない世界へ逝ってしまうとは夢にも思わない様子で、 

病の快復を心から願ってくれていた。  

 

救命室で、 

父は得意のジョークを飛ばしていた。 

 

このジョークの気質は私には受け継がれていないらしい。。。 

 

私は、昔からこの父のジョークが苦手だったような気がする。 

 

それは、 

父との関係自体が希薄で、 

また、 

ある意味父の事を軽蔑していたことから発した事なのかもしれない。 

 

 

私が父と過ごしてきた時間以上の時が、 

新しい家族のもとで流れて行った。 

 

後添えの女性には 

私は一度だけ会ったことがある。 

 

その人が先に亡くなり、 

父は行き場所をうしなってしまった。 

 

その父の面倒をみることは 

私にとっては自然なことだった。 

 

嫌でもしなければいけないことが 

人生の中では数々出現する。 

 

私が、 

父の窮地を知ったとき、 

その事を放っておくことができなかったのは、 

父との幼いころの私の記憶に他ならない。 

 

私が風邪をひいたときに 

作ってくれた 赤い眼をした雪兎。 

 

私の母からは、 

父との絶縁を強要されもした。 

 

 

■□■□■□■□■□ 

 

 

どうも、 

昔の事を思い出しながら記事を書いていると、 

それ以上に酒の量が進むみたいだ。

 

 

来夢は私の足下でまどろんでいる。 

 

私も今日は、 

彼女と一緒にまどろみの世界に入ることにする。。。

 



 

 


 

 

 

 

 


父を偲ぶ2 (予感)

父は2月5日に肺炎で緊急入院した。 

 

肺がんで片肺を摘出した父にとって、 

肺炎を発症することはかなり危険な状態になる。 

 

入院した当初、 

父はこう言った。 

 

近所のスーパーに買い物に連れて行ってもらったのが失敗だった。 

あそこで、 

風邪をもらったのかもしれない、、、 

 

その頃の父はまだまだ元気で、 

看護士を笑わせるジョークも健在だった。

 

 

しかし、、、 

 

私はある予感を感じていた。 

 

それまでに、 

ずっと覚悟を積み重ねていたせいか、 

その予感は自然に私の腑に入っていった。 

 

○●○●○●○●○● 

 

私のお気に入りの店のママさんの名は 

縁と書いてゆかりと読む。 

 

父が入院して間もないころ、 

お気に入りの店で、縁ママに一つ頼みごとをした。 

 

ゆかりちゃん、 

親父にもしもの事があった時、 

その葬儀の始末について教えて欲しい。 

 

彼女の大事な人が 

その筋の関連の仕事をしていたので 

彼女に自然に聞いたわけだけど、、、 

 

それが、 

本当の事になるとはその時はまだ分からなかった。。。

父を偲ぶ。1

じゃ、、、 

もう帰るわ。。。 

 

私の言葉に、 

ひょいと片手を挙げ、 

 

ありがとな。 

 

と言う父。 

 

父の入所しているホームを私が訪ね、 

しばし父と会話したり、好きなものを買って持って行き、 

帰る時のお決まりの光景、、、 

 

そんな当たり前の日常の風景が今は懐かしい、、、 

 

もう二度と感じることのできないあの風景。。。  

 

 

 

父が逝ってしまった。 

 

 

今、 

父は骨となって私の家にいる。 

先に亡くなった後添えの位牌と供に、 

二人の遺影が並んで座っている。 

 

後添えの墓は彼女の妹の墓所に間借りして建てた 

小さな夫婦墓。 

 

四十九日が過ぎたら父をそこに連れてゆく。  

 

 

先月、 

2月22日、 

父の葬儀の後、 

父は骨に還った。 

 

 

父の臨終のとき、 

私は父の耳元である言葉をささやいた。 

 

その言葉が父に届いたかどうかは分からない。。。 

 

しかし、 

父の手を握る私の手にかすかな力を感じた。 

 

そして、 

父は逝ってしまった。 

 

 

 

父を偲んで、 

しばらく言葉をつなげてみます。 

 

それが故人への最高の供養になると思うから、、、 

 

それが、 

私の父への手向けでもあり、 

私の贖罪になるのかもしれないと思うから。。。 

 


 

 突然。。。

今、 

23:40分。 

 

家内が夜勤の夜、 

遅い夕食を取り終え、 

来夢を撫でながら芋ロックのグラスをなめています。 

 

 

今夕、 

仕事が終わるころに父がお世話になっているホームから携帯に連絡が入りました。 

 

そのホームは整形外科の病院が経営している施設。 

 

父は肺がんで片肺を除去しました。 

 

のちに、 

心筋梗塞でたおれ、 

血管もボロボロです。 

 

ボロボロの血管にくわえ、 

片肺の呼吸器。 

 

父の症状をみたホームの主治医は 

迷わず父が肺癌の手術をした、 

公立の病院へ救急車を手配し、 

治療をゆだねました。 

 

ホームの看護師長が付き添い、 

中核病院へ父を運んでくれました。  

 

私が病院へ着いた時、 

看護師長はまだ父の傍らに座っていました。 

 

救急救命病棟での検査でした。 

 

肺炎を起こしているようでしたが、 

それよりも貧血がひどく、 

輸血が必要になりました。。。 

 

最近の傾向なのか、 

数多くの同意書にサインしながら 

やがて来るその日を意識しないではいられませんでした。 

 

 

いろいろな事考えながら、 

キーボード叩いていたら、 

いつの間にか日付が変わっていました。 

 

もう一杯だけ飲んで寝ることにします。 

 

今夜はこの辺で、、、


 


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