アドラーは、子供をダメにする育児について、いくつかあげています。
そんな環境で育つ子を「神経症の子供」と表現して、こうに述べています。
神経症の子供には、3つのタイプがあります。器官劣等性を持った子供、甘やかされた子供、そして憎まれた子供です。
器官劣等性とは、「身体に重大な支障をきたすような障害」を言いますが、それについては普通の子育てには、あまり関係がなさそうなので、この記事では除外します。
とすると問題のある子育てとは、子供を甘やかすこと、そして子供を憎むこと。
ちなみに野田先生は、その点について、甘やかし、子供を嫌う(憎む)、そして無視するという3点をあげていました。
では、それらがなぜ、問題なのでしょう?
それをアドラー心理学の「子育ての心理的目標」とからめて考えたいと思います。
子育ての心理的目標とは、次のようなもの。
①私は能力がある。
②人々は仲間だ。
まず、甘やかしから考えます。
もし、何でも子どもの要求を受け入れていると、子どもは自分の要求は、何でも思いどおりになると学ぶかもしれません。
しかし、小さいうちはいいですが、学校に行ったり、社会に出ると自分の要求が通らない方が多くなります。
そうなると子供は、どのように感じるでしょう?
それと共に子どもの替わりにお母さんが何でもやってあげてしまっていると、子どもは体験を通して学ぶ機会を失って、人生でぶつかるかもしれない課題は自分で解決できないと考えて、依存的になってしまうかもしれません。
そのように子供を甘やかすならば、子供は「私は能力がある」という心理的目標を培うことができなくなると思うのですがいかがでしょう?
さて、自分の要求を聞いてくれない周りの人、依存的な傾向を満足させてくれない相手に対して、その子はどのような見方をするでしょう?
次に、もし、子供を憎んだり、無視するなら・・・
そのような子は、自分は誰からも愛されない、歓迎されていないと感じることでしょう。
もし、自分は誰からも愛されない、歓迎されてないと感じるとすると、その子は、周りの人に対してどんな見方をするか?
「人々は仲間だ!」と感じるでしょうか?
きっとその反対の「人々は敵だ!」と感じ可能性の方が高いでしょう。
特に、無視は子どもとって最悪の対応。
当然、子どもはお母さんに愛されていない、歓迎されていないと感じるでしょう。
そのような子は、周りの人をどのように見る可能性が高い?
おそらく、この記事を読んでくださっている方は、子供を憎む、無視するというような対応はされないと思います。
でも、甘やかしは、当てはまる方が、なかにはいらっしゃるかもしれません。
甘やかしは、子どもの問題解決能力をスポイルしてしまう可能性があります。
そして「私は能力がある」という感覚を培う上で、マイナスに働く可能性は先に述べました!
だからこそ、子供との関わりを客観的に見てみる機会を持って見つめ直してみるのは大きな意義があるような気がします。
インフルエンザにかかる前に予防注射をしておくなら、実際に罹って大変な思いをしないで済むように、子育てもある意味、予防が大切なのかもしれません。
その点で、アドラー心理学に基づいた子育て講座パセージは、ある意味、子育ての予防注射のようなものと言えるかもと思いました。
まあ、実際に予防注射をしなくても、私がなぜかインフルエンザにかからないように、子育てについて学ばなくても、適切に対応できる方はたくさんいらっしゃると思います。
でも、子供さんが小さい頃からお母さんが、よりよい子供との関わり方を学んでいると、おそらくお子さんは「自分には能力がある」「人々は仲間だ」という感覚を持った自立した人として成長する可能性が高まるはず。
そうすれば不必要な(心の)病気にかかることもなく、元気な子に育つのではないかと思いました。
参考図書
●「アドラーを読む」岸見一郎著
●「パセージ」テキスト