鳥取県におもしろい授業をしている先生がいます。
鳥取大学の準教授をしている高塚人志さん。
高塚さんは、もと高校の先生で、生徒さん達に「人として大切なこと」を、レクレーション授業を通して教えていました。
人として大切なこと?
「自分には、価値がある」
「自分がいる事でこんなに喜んでくれる人がいる」
「おれみたいな者でも役に立つんだ」
「生きててよかった」
そんな感覚を育てること。
高校で授業を行っていた時は、高校生たちは、自信がなく、コミュニケーションが苦手という子がかなりいたようです。
しかし、そのような子たちが徐々に変わっていった。
どのようにして?
そういう高校生たちにリクレーション授業を通し、コミュニケーションの大切さを学んでもらったとか。
そして授業の一環として、保育園で一人の高校生が、1年を通して、一人の子にずっとかかわる、そんな取り組みも行われました。
さらに高齢者の方の施設で、おじいちゃん、おばあちゃんとかかわりをもつ機会をつくる。
それらによって自信や肯定感のない高校生が徐々に変わっていったんだそうです。
そして、授業が進み、1年を過ぎるころには「自分には、価値がある」「自分がいる事でこんなに喜んでくれる人がいる」「おれみたいな者でも役に立つんだ」というような感覚を身つけてきたというわけです。
そのような感覚を持つことってとっても大切ですね。
アドラー心理学では、幸福の3条件というものがあります。
1. 自分は能力がある
2. 人々は仲間だ
3. 自分は役にたつことができる
人は、このような感覚をもっているときに、自分の中に幸せという感覚を持てるように出来ているようです。
だから、これらの感覚を持てるように育ててあげるのが、育児の目標であり、それが親の役目だったりするのかもしれません。
ちなみに高塚先生の授業では、これら3つの感覚を育てる工夫がなされているようで、自信がないという高校生たちも、リクレーションの授業でコミュニケーションを学ぶと、それまで苦手だった人とのやり取りが改善したりする。
そうすると高校生の中に自信が芽生え、「自分にも能力がある」と思えてくるのでしょう。
そして幼児や高齢者の方とのやり取りを通して、人はけっして敵ではなく、仲間だと思えるようになっていったに違いありません。
そして、関わりを通して自分が人の役にたつことができる存在であることを認識できる。
「おれみたいな者でも役に立つんだ」。
高塚先生は、その著書の中で書いています。
「今日では家の手伝いや仕事をするのは珍しく、『あなたの仕事は勉強よ』と子供の大切な生活体験を阻害している家庭も少なくありません。」
私もこの意見には激しく同意します。
電化製品の発達によって、子供が家族のために役にたつ場面が少なくなりつつあるのと共に、勉強さえできればということで、塾に通い、家の手伝いなどしたこともないというお子さんも大勢いるのではないかと思います。
でも、それは子どもの生活体験を阻害してしまうことであり、「私は役にたつことができる」という感覚を育ててあげる部分でも、マイナスに働いてしまうような気がします。
だからこそ、どんどん、子供には家庭内の仕事を与えて、貢献してもらうことは大切なのかもしれません。
さて、高塚先生は、その後、鳥取大学に移り、医学部の学生さんたちを相手に同じような授業をおこなっているそうです。
高塚先生のような方の授業を受けたお医者さんが増えたら、きっと・・・
私が治療を受けるとしたら、そのようなお医者さんにかかりたいものです。