「お子さんは、将来どんな人になって欲しいですか?」
もし、そう聞かれたら・・・?
「世間並みに育ってくれれば、いいと思っています」
そのように答える方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それが最も高い望みだとしたら・・・
少し前にアドラー心理学基礎講座理論編に参加しました。
参加した印象は、アドラー心理学の理論と思想を系統的に説明していただき、バラバラだったジグソーパズルが、きっちりはまって一枚の絵になった、そんな感じです。
それはいいとして、「世間並み・・・」の話しは、4日目の午後になされました。
それは、「どうしたら人間は勇気をくじかれるか?」という投げかけに対して、野田先生が説明をされていた時のこと。
ちなみに、どうすれば、人は勇気をくじかれると思いますか?
答えは、自分の劣等感が大きすぎる時なんだそうです。
たとえば、体の障害を抱えていたり、容姿に問題があったりすると、人は劣等感を抱くことがあるかもしれません。
劣等感は、主観的に、自分が劣等だと思うこと。
それを理由に、自分はダメだと思って、ものごとに取り組もうとしないことを劣等コンプレックスといいます。
しかし、その劣等感をばねにして、その障害を克服したという例は枚挙のいとまがありません。
例えば、棟方志功は、弱視だったにもかかわらず、画家として大成。
また、アランフェス協奏曲というギターの曲を作曲したロドリーゴは、もともと全盲。
そのような例は、周りにたくさん散見されると思います。結局、人は主体的に自分の歩みを決めているのです。
少し話しがずれたので、戻しますね。
人が勇気をくじかれるのは、大きすぎる劣等感を持ったとき。では、どうしたら大きな劣等感を持つことになるでしょう?
野田先生の話しによると、
①子供に競争を仕掛けるとき
②罰を使った教育・育児をするとき
なんだそうです。
今回は、その点について詳細を述べるのは避けますが、子供が大きな劣等感を持つことで、勇気をくじかれ、やる気を失っていくというわけです。
そうならないためにできることの一つとして、
●目標を現実的にする
というものがありました。
目標があまりにも高いと、挑戦する気を失い、勇気をくじかれます。
例えば、学校での成績が芳しくない子に、東大に入りなさいといっても、現実味を感じることはないですね。
それは、その子にとって目標が高すぎるわけです。
では最も大それた目標とは?
それが「普通の人になること」であり、「世間並みでありたい」だといいます。
正直言って私は意外に思いました。
だって・・・
この回の講座は、ICレコーダーを持っていき、野田先生の話しをすべて録音しました。
その部分を帰宅後、書き出してまとめたので、それをご紹介します。
例えば、神様になりたいとしたら、失敗してもくじけませんが、世間並みになりたいが失敗するとくじけますから。重症の神経症の人は、だいたい世間並みになりたいです。
で、なんでそんな目標を持つかというと、親とか教師とかが、せめて世間並みになりなさいという教育をしたからです。
わたし、その世間並みってわかんないんですよ。何を世間並みって言うか、どうなったら世間並みなのか、イメージがわかないんです。
例えばね、自分の手で稼いで食べなさい、だったらわかるんですよ。
あるいは、人に好かれる人になりなさい、だったらわかるんですよ。
あるいは、東京大学に入りなさいだったらわかるんですよ。挫折するかもしれないけど!
でも世間並みになりなさいは、どうなったら世間並みになるのか基準がわからないんですよ。
だからね、極端に高い望みなのね。そういう望みをかけないようにしましょうね。
世間並みって、あまりにも漠然とした言葉。
だから・・・