10年以上前に、電車に乗っていて、途中の駅から乗車してきた高校生たちが、周りの人たちの迷惑を顧みないで、ドアの近くで地べたに座る光景を見て、驚きました。
いつから、こんなふうになってしまったのか?
私が高校生の頃、同じようにする子は皆無でした。
もちろん、そんな高校生ばかりではないと思いますが、正直、ショックを受けました。
もしかすると、「自分だけ良ければ」という人が増えているのかもしれません。
きっと子どもの頃から、何がよくて、何がよくないかを教わってこなかったのでしょう。
でも、それも当然の成り行きなのかもしれません。
どういうことかというと、・・・
日本が戦争に敗れて、戦後処理のためにしばらく日本を統治していたGHQは、日本人の精神力や道徳感の高さに恐れを感じ、日本人を腑抜けにするための洗脳を行ったんだそうです。
それについては、今日のタイトルとは趣旨が違ってくるので、詳細は述べませんが、歴史に関心のある方は、ジャーナリストの桜井よしこさんが書かれた「『眞相箱』の呪縛を解く」をお読みになることをお勧めいたします。
歴史観が変わりますよ。
さて、桜井さんも書かれているのですが、GHQの思惑はとってもうまくいって、今のような日本が形成されてしまった。
そのため、電車で人の迷惑も顧みないで・・・
でも、そんな愚痴のようなこと言っているだけでは意味がありません。
アドラー心理学では、共同体感覚というものを学びます。
共同体感覚について、野田先生の定義は、
ある出来事がおこった時に、「これはみんなにとってどういう出来事だろう? みんなの幸せのために私には何ができるだろう?」と考える視点。
やはり、アドラー心理学を学ぶ者として、そのような視点を持って物事を考えて行動したいものです。
「私ができることは何だろう?」
そんな考えもあって、水戸でアドラー心理学をベースにした子育て講座を開催しようと思っています。
とはいえ、日本が抱える問題を考えると圧倒されそうになります。
それでも、できることを行って、これからの日本をすこしでもよくしたいと思っています。
でも、考えれば考えるほど、無力感に襲われます。
例えば、今回、水戸でパセージを行ったとして、8人の方が参加されたとします。
きっと、その方達の育児の方向性は変わることでしょう。
とはいえ、8人の方の子育ての方向性が変わったからといって、全体としてみるとその影響力は微小だからです。
それでも、出来ることをやっていきたいものです。
ここで、以前にも紹介したのですが、南米の素敵なお話しを紹介します。
小さなハチドリの話です。
森が燃えていました。
森の生きものたちは、
われ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは行ったり来たり。
くちばしで水のしずくを一滴運んでは、
火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て、
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います。
クリキンディは こう答えました。
「私は,私にできることをしているだけ」
(南米アンデスの先住民に伝わる話)
くじけそうになる時に、いつもこの話を思い出します。
「私は、私に出来ることをしているだけ」
行動することによって、堂々とそう言える人でありたいものです。