昨日、「クローズアップ現代」で大津のいじめ事件のことを扱っていました。見ていて腹が立ちました。
なぜなら、訴訟で損害賠償を支払うことを危惧して、どうしても学校側がいじめを隠ぺいする体質があることが指摘されていました。
「人を自殺に追い込むようないじめをして、それを何とも思っていない子どもたちを、本当にそのままにしていいの?」
そう思いました。
数日前にも、いじめ関係の本の紹介の記事を書きましたが、人を死に追いやっても、いじめた本人たちはノリでやっていて、最悪感などを感じていないケースも多いようです。
かえって、
「あんな奴、死んでよかった」
なんて思っているケースも多いとか。
彼らが行っていることは、社会規範からすると明らかな犯罪。
それが学校という狭い環境の中では、その規範が通用せずに、暴走してしまうことも多いらしい。
でも、いじめをした子たちが、何のお咎めを受けないでいるのは問題だと思います。
そこには、学校関係者のいろいろな思惑も関係していることでしょう。
でも、うやむやにすることによって、
「つかまらなければ、いじめをして人が死んでもOK!」
そんな感覚が、子どもたちの心に浸透することを懸念します。
ちなみに、いじめの問題が生じると地域全体で隠ぺいが図られることがあるようです。
次の例をご覧ください。
20年以上前に東京中野区の富士見中でC君がいじめによって自殺に追い込まれました。
その際の“葬式ごっこ”の「色紙」には、教員数名が寄せ書きをしていたとか。
この件をあまり詳しく述べるととっても腹立たしいので、やめておきますが、裁判の証言でも、教員たちは全員「いじめはなかった」と主張するとともに、PTAの間では、教員にとらせる責任を軽くしてほしいという署名運動まで集まったとか。
その点についてノンフィクション作家の門野晴子さんは、著書「少年は死んだ」でこのように述べているそうです。
「先生、おかわいそう」の署名はだいたいどこの学校でも特定の親に学校が頼んでださせるものだ。「あの家がおかしかったので学校が騒がれて迷惑ね」と言いながら署名を集め、事件の当事者を孤立させていくのがいわば学校の常套手段である。たとえそれに不本意な人であっても、学校関係の署名は踏み絵のごとき威力を持つから、拒否するには村八分とわが子の差別を覚悟しなければできない。
「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」内藤静雄著
もし、このようなことが本当であるならば・・・
本当に腐っているとしか言いようがありません。
学校が主導的な立場をとっていじめの隠ぺいをし、被害者を孤立させていく。
それによっていじめた子たちは、何の咎めを受けることもなく守られて、のうのうと生きていく。
彼らはこれからの人生、どんな生き方をするのでしょう?
やはり、何らかの対処が必要なのと、いじめが起らないような対策が求められています。
ところで昨日、注文していた本が届きました。
タイトルは、
「いじめの直し方」内藤静雄著
著者は、先日、今日と紹介したいじめ問題の第一人者、内藤静雄さん。
この本は、いじめをうけている中高生向けに書かれています。
そして、いじめが生じる理由や、その対処の仕方などが明記されていました。
ちなみにいじめには、
暴力系とコミュニケーション操作系
の2つに大別だれるんだそうです。
暴力系は読んで字のごとく、殴ったり、けったり体に直接傷をつけるようなもの。
コミュニケーション操作系は、クスクス笑ったり、シカトしたり、悪口を言ったり、集団内で立場を悪くさせたり、不快な気分にさせるようないじめ。
それぞれに対して、どのように対処したらいいかも説明されていました。
さて、いじめは生じやすい環境があると言います。
どんなにしっかりした子でも、それに巻き込まれてしまうことがあります。
だからこそ、そんな時にどうしたらいいか、今回紹介した本を読んで、備えておくことは問題を大きくしないという面で有効かもしれません。
ちなみに、いじめの問題が生じたときには、いつ、どこで、誰が、何をしたという、メモを証拠としてとっておくとよいということでした。
他にも具体的なアドバイスがたくさんあって参考になります。