昨日の記事の続きです。
“勇気づけ”に関する野田俊作さんの定義。
私は能力がある、人々は仲間だ、と相手が感じるように働きかけること
これがわかりやすくて、しっくりくる気がします。
そして、昨日は子どもが“私は能力がある”と感じられるようにするため、どうしたらいいかを考えました。
今日は、子どもが、“人々は仲間だ”と感じるような働きかけが何かを考えたいと思います。
ちなみに、アドラー心理学では、性格に相当する言葉をライフスタイルなんて言いますが、それは自己と世界の現状や自分の理想などに関する信念の体系だと説明されています。
人々は仲間だと思うのか、敵だと思うのかは、生まれてから親御さんや他の人たちとの関係の中でつくられていきます。
そしてそれは、信念の体系の一つであるわけです。
よく言えば、信念・価値観、悪く言うと“思い込み”。
周りの人に対して、どんな思い込みで接するかによって人間関係は変わる。
では、子どもが“人々は敵だ”と思いこんでいたら、周りの人との関係はどうなるでしょう?
ちょっとご自分のことを考えてみてほしいのですが、もしかすると誰でも、嫌な思いをして、あいつだけは許せない、という人が一人や二人いるかもしれません。
もし、そんな人を目の前にするとどんな気分になりますか?
そこから逃げ去りたいとか、なかには敵意が強すぎて、相手をどうにかしてやりたいと思うなんて場合もあるかもしれません。(そこまで感じる相手はなかなかいないと思いますが!)
しかも、周りにいる人が、そう感じる人ばかりだったとしたら?
もし、それが学校なら、行きたくなくなることでしょう。会社なら出社したくなくなりますね。
生きるのもつらくなるかもしれません。
でも、もし、“人々は仲間だ”と感じているとしたら?
きっと学校や職場も楽しくて、毎日が楽しくなるはず。充実した毎日を送れる可能性が高いですね。人間関係は見方によって大きく変わってしまいます。
だからこそ、子供にはぜひ、“人々は仲間だ”と感じるように導いてあげてほしい。その感覚を持って育った子は、きっと人との関係を楽しみつつ、有意義な人生を謳歌することができるでしょう。
では、ここで質問です。
お子さんは、お母さんを仲間だと思っていますか?
なぜ、このような質問をしたかというと、子どもが“人々は仲間だ”と感じられるかどうかは、身近な存在であるお父さん、お母さんの影響によるところが大きいからです。
もし、そうでない場合・・・
野田俊作さんは、こう述べています。
生まれた瞬間の赤ちゃんが、敵の中に生まれてきたとは思っていないんで、みんな仲間だと思ってくらいしてくるんだけれども、育ててくるなかでいつか親や教師が、ああこの人は敵なんだ、と思わせるような言動をしたわけだ。それで子どもは傷ついて「ああ、この人は仲間じゃないんだ、敵なんだ」って思っちゃったんです。これを勇気くじきと言いますね。
きっとこれをお読みの方のご家庭では、そんなことはないと思いますが(笑)。
お子さんは、お母さんは仲間だ、と感じていますね!
さらに、子どもを勇気づけて良い関係を培っていただけたらいいですね。
その点で、野田さんはこう続けます。
だから、子どもに、親とか先生とかは仲間だと思えるような働きかけを、絶えずする。言葉使いを気にして暮らす。それから、子どもとの暮らし方全体を気にして暮らすということが必要だろうなと思います。これが、まあ、勇気づけというものの大きな方向性ね。
「勇気づけってなんだすか?」って聞かれたら、
「子どもが『私は能力がある』とか、あるいは『人々は仲間だ』とかいうことを感じて暮らせるように、接し方を工夫することなんです」というふうに私は答えています。
まずは、家庭の中で子供との接し方を工夫する。
それが大切なんですね。
さらに、どんなことに気をつけたらいいのでしょう?
最後に野田さんの言葉で締めたいと思います。
「勉強しなさい! 勉強しないとあんた、ろくな人間にならないよ」って友達に言う(笑)?よその人にさえ言わないことを、家族に向かって言うなよなあ。まあ、敬語を使えとまで言いませんけど。
仲間として、分かちあう仲間として、ともに暮らす仲間として、やっぱり毎日、毎日、毎時間、毎時間、毎晩、毎晩、子どもを扱いつづけてほしい。
そうやって、親は仲間だとか、教師は仲間だとか思うところから、やがて「人々は仲間だ」というところへ広がっていくだろうと思うんですよ。
参考図書
◎「新しい社会と子育て」野田俊作