豊臣家の人々

 秀吉に呼ばれながら、重い腰を上げなかった父昌幸が、いよいよ長男信幸をともなって、大坂にやってきました。再会を喜ぶ信繁ですが、そこは秀吉、今度はなかなか父と兄に会ってはくれず、間に入って右往左往の信繁です。

 茶々の口添えもあって、何とか秀吉からは直接、所領安堵のお墨付きをもらいましたが、家康傘下の与力大名になるようにとのお達しで、真田家としては頭の痛い話です。ただ、こうやって大名たちを豊臣の傘下に収め、天下統一が進み、戦乱のない世になかになっていったのかと、興味深いものがありました。

 

 秀吉が茶々に側室になるようにと、くどいています。返答に迷う茶々はなぜか、信繁に相談。高貴な生まれながらも、茶々の過酷な生い立ちを聞き、小さくても愛情深い一家で育った信繁としては、同情するしかないですが、相談されてもねぇ。信繁は「殿下の側室になるのが幸せかどうかはわからないが、側室にならなければ、不幸になるでしょう。」と答えていました。

 茶々は側室になることを決意し、護衛役だった信繁をお役御免にしました。そして、「再び、再会して、同じ日に死ぬだろう。」と予言していました。再会は当然ありますが、同日に2人が亡くなることはありません。何日ずれるかは、本ドラマの最終回を楽しみにしていてください。それとも、三谷さんのことだから、同日にするつもりなんでしょうかねぇ。

 今回、茶々の母で信長の妹、お市の方の話題が出ていました。戦国第一の美女とたたえられたお市さんです。


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持明院1

 ここ高野山の小坂坊持明院は、お市の次女、お初の嫁いだ先、京極家の菩提寺でした。その縁からか、お市と浅井長政の絵姿が残されています。お寺の古文書には、京極高次(お初の夫)が当寺院を訪れたという記録があると、お寺の方にお聞きしました。



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 この絵はお市の没後10年を期して描かれたそうで、元は長女の茶々が持っていたものを冬の陣が終わった後、お初に渡したのではないかとお寺には伝わっているそうです。これは精巧な模造ですが、本品は重要文化財に指定されています。



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 こちらは長政の没後17年に描かれた絵姿です。お市と一緒に描かれたようです。


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 お庭には、牡丹やシャクナゲの花が咲いていて、とてもきれいでした。


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 今、南海電車はラッピングされていて、楽しいことになっています。


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