5月5日は真田信繁の法要

     ~信繁忌~

 信繁は秀吉に気に入られ、馬廻役(護衛役)になりました。信繁は豊臣の姓と従5位下 左衛門佐(さえもんのすけ)という官位をもらいますので、豊臣家の家臣団の中で厚遇されていますから、何らかの役回りをしていたのは確かです。




若い信繁、秀吉はじめ、豊臣家の人々に振り回されています。信州では真田家の中で守られていた次男坊ですが、大坂という大都会にやってきて、宮仕えをしながら、修行に励む日々です。

出雲の阿国に緊張した時には、腹に力を入れて息を吸い、ゆっくりはくという対処法を教えてもらい、練習している信繁です。それを夜中の秀吉vs家康会談で2人に教えるという場面は傑作でした。思わず、見ている筆者もまねして、息をはいてしまいました。3回、4回見ても、おもしろいというこのドラマ、堺さん、小日向さん、内野さんら達者な役者さんたちの名演技の賜物ですね。


茶々の護衛役を秀吉に仰せつかった信繁の今後、何やら波乱含みです。上田から父や兄たちも上洛してきて、大坂を舞台とした物語も盛り上がってきました。


信繁たちが見上げている大坂城の天守閣、壁が黒いです。修復されて真っ白すぎると言われているのは姫路城ですが、この黒と白のお城の境目は関ヶ原だそうです。関ヶ原以前に建造された城は、概ね黒色で、関ヶ原以降、江戸城が建造されて以後は白色が流行したそうです。

コストは白色の方がかかるので、関ヶ原の戦いが終わり、平和になった時代になって白色が流行しました。現在の大坂城の天守閣は、江戸期の天守台に昭和になって造られた天守閣が乗っていますが、豊臣期のものを再建するつもりだったのなら、もっと、壁を黒くするべきでした。それでも、最近の大修理の際に、以前よりは黒壁に近くなりましたが。


今年も5月5日に、大阪玉造の心眼寺さんで、真田信繁の没後401年目の法要を行わせていただきました。多数、ご参列いただき、ありがとうございました。心眼寺さんには、いつもきれいにお墓を守っていただき、感謝しています。






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先日、テレビ番組で心眼寺さんが登場していました。そこで、心眼寺さんに六文銭をかたどった刀の鍔があることを知りました。御住職さんにぜひ、見せていただけないかとお願いしましたところ、快く持ってきていただきました。




結構大きく、太刀の鍔だと思います。明らかに、誰かが使用していた六文銭の鍔です。最近の物ではありません。よい物を見せていただきました。






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信繁の命日は慶長20年5月7日ですので、ぜひ、来年も5月5日に法要を行わせていただきたいと願っています。今からご予定いただけますと、幸いです。お墓の前で、信繁の生前最期の書状を読む・・なかなかできない経験です。




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最近、心眼寺さんの山門に大阪市の銘板がはられました。


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真田丸の説明があります。


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こちらは寺前の明星学園の横に設置された石碑です。


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詳しい説明が載せられています。このあたりの史跡も整備されてきました。さすがに大河ドラマはえらいものです。







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