メルマガを書いたら、
わかりにくい
と、言われたので、

カンタンバージョンをブログにアップしてます!

メールアドレスがコピペできないので、オリジナルバージョンは、個別に、明日お送りさせていただきます。遅れており申し訳ありません。


どちらがよいか教えてくださいね!



7月のメッセージ(カンタンバージョン)

この時期いつもそうですが
夏至から七夕にかけて、
お天気も不安定で
寝ても寝てもだるい、
疲れる、という

方が多かったのではないでしょうか。

そんな中、
宇治の興聖寺に坐禅と宿坊に行ってきました。

世の中的にはいつまでたってもウィルスが消えない。。
京都は空いていました。


興聖寺では雲水さん達が変わらず朝晩のお勤めに精を出していましたよ。


お寺は曹洞宗でして、

ZENの三つの流派の一つ、です。


変わらぬ鐘が鳴り、読経が響き、草や葉の擦れる音が響く。

数百年間ブレないまんま

でした。

そこに不安や恐れはありません。
なぜなら

移りゆくモノに目を向ければ、不安や恐れが起きます。

変わらぬ人々の生活、祈りや愛、不完全なものに目を向ければ、 

愛情や励ましやあわれみの気持ちがわきます。


私は仏教徒でもありませんが、
(ヨギではありますが)

存在する全ての生けとし生けるものが美しい

といった禅の世界観、循環するものの考え方、
は同意見なので、シェアしたくて

7月はこんなメッセージになりました。

悪者にも、人殺しや卑しい心の人も、すべて、
誤解を恐れず言うなら、愛らしい。

それで、
悪いから死んでいい、人殺しだから死んでいい、
そんなふうに淘汰されて『仕方ない』存在や、

見捨てられていい『気持ち』なんて存在しないんです。

(肌の色やジェンダーなんてもってのほかです。)

寺ではそんな、

あらゆるいのちを思いやる姿が見えます。


完璧や完全、完成からは
倒壊する恐れを見ます。


ひとは
不完全性に成長や発展やいのちのきらめきを見出すはずです。

寺にある
苔むす庭や僧堂にある座布は、
古くひとつとして同じ形のものがないのですが、
なぜか整って、調和して見えます。

不完全な中に
絶妙なバランスの美が見えます。

こうして、
存在する不完全なものに、
ひとかけらでも、
愛らしさや美しさを見つけられると、
世界に身を置く意識は、安定するはずです。

今も災害にみまわれ、この先地球は変化しかないでしょう。

明後日は七夕。明日は満月、よい宵をお過ごしください。




ここまでお読みくださり本当に、
ありがとうございました。
 
日常にある幸せをたくさん見つけられますように。わたしもそうしたいです。
 
A bientôt !
YUKI