他の人も召喚されているみたいだけど、人は人。
自分の所感をつらつらと書いてみる。
結論:いいおっさんが何してんの、って意味で「絆花さんの勝ち」。いや、「とつげきさんの負け」と言った方がイメージ伝わるかな。論理的には、「とつげきさんの勝ち」。こちらも「絆花さんの負け」と言った方がイメージ伝わるかと。
まず、「唐揚げうんぬん」は、「偏差値60未満はうんぬん」と同じで、40過ぎのおっさんが何言ってんのって感じだ大人の社交場のトピックとしてふさわしくないよね。そこを敢えてとつげきさんが「ほらここ叩きなよ」というネタを振ってるのだから、叩きたい人はどんどん叩けばいい。いつものパターン。どちらが大人げないか言うまでもない。
(ただ、職場に電話するとか、そういうのは止めよう)
一方で、敢えてネタには乗らずに論理的に責めようとしたのが、絆花さん。
しかし絆花さんの一番の失敗は、
古今問わず、認識論だけではなく大抵の哲学・論理学では「絶対という言葉は使わない」というのが大前提
(略)
言い換えてしまえば、とつげき東北は「絶対という言葉を使用した時点で」論理学自体が一切解っておらぬということでもある
これ。こう書きたい心情は理解できる。でも、論理の話として批判します。
まず、論理で攻めようとしているのになぜ「大抵の」を付けるのか意味が分からない。
「大抵の」を付けたいのならば、「例外の」哲学・論理学とやら(そういうのがあるのか知らないけど)が今回の話に当てはまらないと証明しなきゃいけない。証明まで行かなくても、話として触れなきゃ、読んでる方はモヤモヤっとする。
さらに、それができていないのに、安易に「言い換え」を行っている。論理的な話であるならば、言い換え前後を比較したときに「===」でなければならない。
ところが、言い換え前の文と言い換え後の文を見てみると、全く「===」ではないし、「==」ですらない。
気持ちはわかるけど、見ただけで「ざるの証明」の雰囲気が漂ってるし、絆花さんは「わかるでしょ?わかるでしょ?」と言うだけで、全く証明になってない。
これをもってして、「論理学を知らぬか解ったものではない」と言い切るのはちょっと自滅しすぎ。
とつげきさんを叩きたい人は、「理屈が合わない」「論理的じゃない」という責め口より、「常識としてどうなの?」「大人としてどうなの?」という社会的な視点で責めることをお勧めします。
もっとも、とつげきさんにとってはそんなのどうでも良い価値観だと思ってる気がするけど。