「ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急会議」を読んで | 毎日ほっこりしていたい

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ほっこり愛好家、読み書き家「おゆき」の日々の記録
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こんばんは!

 

「ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急会議」

一気読みしてから、

かなり時間が経ってしまいました。

 

「伝えたい!書きたい!」という

"アツさ"が冷めてしまい、

後悔しています。

 

読んだ直後の熱量や勢いでは

書けませんが、

下書きしてあったことと

今思うことを合わせて、

書いておきたいと思います。

 

 

 

私が学んできた歴史に人はいなかった

 

「ガザとは何か」を読むまで、

私にとって歴史は、

「年号と事実の羅列」でしかありませんでした。

 

学校のテストや入学試験で

点数を取るために、

その羅列された数字や言葉を覚えるもの。

 

その数字と言葉は、

いつ何が起きたかということ以上の

意味をもっていませんでした。

 

でも「ガザとは何か」を読んで、

歴史には、

その時代を生き抜いた「人」が

いるということを学びました。

 

よく考えてみれば

当たり前のことですが、

歴史の中には、

起きた出来事に、

苦しみ、悲しみ、喜んだ

人たちがいたのです。

 

そう気づいたとき、

ただの文字の羅列としか捉えておらず、

ペラッペラの紙のように

重さを持たなかった歴史が、

人の感情や思惑を含んだ

ずっしりと重みのある「実体のあるもの」

変わった気がしました。

 

 

人間のもつ危うさ

 

「ガザ・パレスチナ問題」に関わらず、

私たちが知っておかなければいけないことの一つは、

人間は、怒りや悲しみ、苦しみ、恐怖など

抱えているものが限界に達したとき、

本来大切だとわかっているものでも

傷つけてしまう危うさを含んでいる

ということだと思いました。

 

人の命は大切だとわかっていても、

自分たちが抱えている感情のもとに

自分たちの行動を正当化する目的をつくり上げ、

人に暴力をふるう。

 

心の中にある罪悪感を

見てみない振りをしたり、

感覚が麻痺したりしているうちに、

引き際がわからなくなる。

 

だから、私たちは、

これまでの歴史や

暴力に訴えずにわかり合う方法を

学んでいく必要があるんだと思いました。

 

 

やるせなさと共に生きる

 

読み終わった直後も今も、

変わらず抱えているのは

「やるせなさ」かもしれません。

 

この争いが終わるように

何かしたい。

 

でも、私が直接的に

何かできるわけじゃない。

 

政治の問題や社会課題など、

規模が大きくなればなるほど、

自分の手が届かなくなる。

 

自分が無力に思えて、

こんなにやるせない想いを

するくらないなら、

入って来る情報から

目を背けている方がましだと

思いたくなる。

 

でも、もしかしたら、

このやるせなさを抱えて

生きることも、

私たちにできることの

ひとつなのかもしれません。

 

このやるせなささを

持ち続けることは、

 

その解決をあきらめずに

関心を持ち続けること。

 

苦しんでいる人たちに

思いを馳せること。

 

署名など

できることに参加しつつ、

それでも心に残る

やるせなさと

一緒に生きられる強さをもとう。

 

そんなことを思いました。

 

 

今日もお読みいただき、

ありがとうございましたチューリップ