小鍛冶-その三- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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『小鍛冶』の主人公である三条宗近は平安時代の刀鍛冶の一人である。

現在の京都市東山区粟田口鍛冶町にある、仏光寺本廟あたりに宗近の住まいがあったらしい。

三条に住む小鍛冶だから「三条小鍛冶」。本当は橘宗近というお名前だったらしい。

彼の打った刀で最も有名な刀は

『三日月宗近』という刀である。天下五剣一つので、その中でも最も美しい刀と言われ、現在国宝として東京国立博物館に納められている。

三日月宗近は徳川家の家宝とされた刀であった。

もともとは足利将軍家秘蔵の刀として伝えられたものであったが、永禄の変(1565年に三好長逸・三好政康・岩成友通等が二条城に攻め込んで足利義輝将軍を殺害した事件)の際に戦利品として三好政康の手元に渡った。そして、三好政康の手から豊臣秀吉に献上。その後、秀吉の正室高台院が所持。そして、遺品として徳川秀忠の手に渡る。

永禄の変の際に足利義輝はこの三日月宗近を振るって奮戦したと言われています。それを知ると何気に怖い感じがします。

また、宗近の作った刀で有名なものがもう一つ。祇園祭で使われている長刀鉾。宗近の娘の病気治癒を感謝して八坂神社に奉納した刀だそうです。


さて、天下五剣という文字に興味が・・・

・大典太光世(オオデンタミツヨ)

平安時代後期1070年頃の筑後の刀工、三池典太光世の打った刀。

この刀も足利将軍家のものだったらしいですが、のちのち豊臣秀吉の手に渡り前田利家に与えられ現在に至っているそうだ。

・童子切安綱

源頼光が大江山の酒呑童子を斬った刀と言われています。伯耆国(ほうきのくに)の刀鍛冶である安綱の作だそうです。

・鬼丸国綱(オニマルクニツナ)

鎌倉時代初期。山城国の京粟田口派の刀工で粟田口六兄弟の末っ子である国綱によって作られた。

北条家の家宝だったが、北条高時自刃ののち新田義貞の手に。新田義貞がのちに足利尊氏軍に討たれた際に義貞の首とともに献上され足利家の家宝となった。色々な説があるがこののちに秀吉経由で本阿弥光徳の手に渡り、その手から徳川秀忠に渡ったようだ。

明治維新後、後水尾天皇に献上されたものであるが、徳川家を通じて本阿弥家に預けたものだという事で明治天皇のもとに取り寄せられた。現在は宮内庁に所蔵されている。

・数珠丸恒次(ジュズマルツネツグ)

平安時代に青江恒次によって作られた。

日蓮の所持していた刀だそうだ。日蓮没後、身延山久遠寺に保管されていたが、いつしか行方不明になる。

大正時代になって、宮内省の刀剣御用掛の杉原祥造が再発見。華族の所蔵品の競売に掛けられていたところを発見したと言われている。その後、久遠寺に返納しようと手続をとったがうまくいかず。尼崎市の本興寺に寄進。今もここに保存されている。


ちょっと話がずれましたが、、、

『小鍛冶』つながりで刀の事を調べてしまいました。