高砂丹前 | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
自己満足ブログですみませんm(_ _)m

年代
作曲
作詞
1785年天明五年 初代杵屋正次郎
初代瀬川如皐


正式な題名は「女夫松高砂丹前」という曲です。
能の「高砂」が素となって作られた長唄です。
けれど、完全に能の「高砂」が長唄化したものではなく、
この曲にははっきりしたストーリーはありません

ねえねえ、能の「高砂」ってどんなの?
…そうでしたね。まずはそちらから説明しないと。
肥後の国の阿蘇の宮の神主の友成は京見物の旅に出ました。途中、播州高砂の浦に立ち寄り休憩していました。そこへ、年老いた夫婦がやってきて、そこにあった松の周りを掃除しはじめました。
友成はその老人に
「有名な高砂の松というのはどれか」と訪ねました。
老人は「この松が高砂の松だ」と言いました。
また、友成は
「これが高砂の松か…。高砂の松と住吉の松は、ずいぶん離れた場所にあるものだが、なぜ相生の松と呼ばれるのだろうか」と老人に尋ねました。
「例え所を隔てていても、夫婦の仲というのは心が通うものだ」と説明した。
自分たちも、おばあさんはこの土地の者であるが
自分は住吉のものだと話し始め、様々な故事を用いて松の目出度さを説明し始める。
そして、実は私たちは相生の松の精であると正体を明かすのでした。
「住吉であなたのおいでをお待ちしている」と告げて小船に乗って消えて行きました。
友成は言われたとおりに住吉に向かいました。住吉に辿り着くと、そこに住吉明神が出現し千秋万歳の楽を奏して、君が代を祝い奉る。
そんなお話です。
さて、この「高砂丹前」はこの能の「高砂」に出てくるおじいさんとおばあさんの所作を題材としたものです。
おじいさんは、花槍を持った奴さん。おばあさんは、腰元に置き換えられています。
特に曲自体にストーリーはありません。
この奴さんに「丹前振り」を取り入れて仕上げられている事から「高砂丹前」と題名が付けられたのではないでしょうか。

ところで、「丹前物」とは何?
はいはい、十七世紀半ば、神田の堀丹後守の屋敷前に風呂屋が出来たそうです。
当時お風呂屋さんには、湯女と言われる風俗系の女性が抱えられていたそうです。つまり当時のお風呂屋さんは、風俗系の要素が強かったのですね。
そのお風呂屋さんは、丹後守の屋敷前にあるという事で皆から「丹前風呂」と呼ばれたそうです。
綺麗な湯女を目当てに通う男性たちは、特殊な格好をしていたそうで、その風俗・振る舞い(歩き方)を「丹前振り」と呼んで、それが美化・演劇化されて歌舞伎に取り入れられたそうです。
特殊ってどんなんだろう?と思うのですが、そこまで調べる事ができませんでした。
でも、よく温泉旅館に行くと浴衣の上に着る「丹前」というのが置いてありますよね。
たぶん、ああいったものを着ていそいそと美女を求めて歩く姿が

さて、最初は「次第」から始まるんですけれど、やっぱ「奴」をイメージした次第なのかな?
それとも、能の「高砂」に出てくるお年よりかな?はたまた…。
いやいや、丹前ものですから・・・
うーん、こういう曲は難しいです。