今残っている長唄の中で、もっとも古いとされているのが、この曲ではないでしょうか。
享保年間(1716~1736年)にはすでにあったとされています。
江戸市村座の脇狂言として演じられていたものだそうです。
「江戸市村座」
1634年(寛永11年)に村山又三郎が村山座として起こす。その後、1652年(承永元年)、市村羽左衛門が興行権を買い取り市村座とした。
1842年(天保13年)水野忠邦による天保の改革により、芝居は風俗の乱れを生じるとして、堺町の中村座・葺屋超の市村座・木挽町の河原崎坐(のちの森田座・守田座)を浅草寺裏の猿若町に転居するように命じられる。
1892年(明治25年)下谷二長町に転居。明治26年焼失。明治27年に東京市村座として再建したが、大正11年関東大震災によりまたまた焼失。その後、再興を果たすが昭和七年に焼失。それをきっかけに消滅してしまう。六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門などの人気役者が活躍した劇場であった。
余談ですが、天保の改革はとにかく歌舞伎をいじめまくった改革。
当時人気の七代目市川海老蔵。手鎖の刑ののち江戸所払い。本腰を入れて歌舞伎を弾圧するぞという見せしめに彼は江戸を追われた。
歌舞伎の役者たちの日常生活の統制。一般人との交流の禁止とか、外出の際は編み笠かぶれとか。
それから、上演は江戸と大坂・京都でしか上演しちゃいけない。とかまあとにかく厳しい統制を引かれちまった。
水野君。禁断の大奥にも無駄遣い禁止で統制。当時の大奥の実力者である姉小路らに強い反発を受けてこちらは失敗。やっぱり大奥は禁断の地。大奥は強かった。けれど、やっぱり庶民は表立っては抵抗できない。天保の改革の時代、庶民は超ストレス。のちのち水野忠邦失脚。庶民は大喜び。そして屋敷に大勢の人が石を投げ込んだらしい。
さて、
脇狂言というのは、前座みたいなものでしょうね。
まだ、興行中、まだ夜が明けぬうちから、稲荷町と呼ばれる見習い俳優たちが、三味線や唄と共に序開きの所作を演じたのだそうです。
中村座は『酒呑童子』
市村座は『七福神』
守田座は『甲子待』
と演目が決まっていたそうです。
七福神というのは、現在では
大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七人の神様の事を指しますね。
しかし、このメンバー、時代によって微妙に変わっているのです。
福禄寿と寿老人は南極老人星という星の化身とされ、実は同一人物。という事で、寿老人の代わりに吉祥天や猩々が入っていた時代もあったそうです。また、誰かの変わりにお稲荷さんが入っていたり。しかし、猩々とお稲荷さんは人間の姿をしていないという事で外されたそうで。
そうそう、吉祥天というのも女性ですね。七福神は弁財天の紅一点というイメージがありますが、もしかしたら女性の神様二人だつたかもなんてすね。
母親は鬼子母神、徳叉迦竜王を父とし、兄は(夫という説も)毘沙門天。
幸福と富と美の神様と言われています。場合によって弁財天と同一視された事もあったようです。
さて、この吉祥天は貴族たちの信仰が深かったようです。しかし、弁財天は身分の上下関係なく信仰されていたそうです。
という事で、七福神の紅一点に庶民からも愛される弁財天がその座を射止めたのだそうです。
七福神は、神仏習合という日本的な集まりですね。神道と仏教は違いますし、また中国の道教も全く違う宗教です。
日本の神社仏閣に行くと、お寺さんなのに赤い鳥居があったりと神道も仏教も入り混じっていますよね。
この七人の方々。実は日本特有の神様は恵比寿さんだけ。他はインドや中国から日本に来た神様や仏様や仙人。
大黒天・毘沙門天・弁財天はインドのヒンドゥー教の神様。
布袋は中国仏教の仏様。
福禄寿・寿老人は道教の仙人。
こんなメンバーから成っているのですね。
さて、この曲は『七福神』なのに、登場人物は大黒さんと恵比寿さんだけです。
曲の前半は恵比寿さん、後半が大黒さんのお話とされていますが、一説では全体的に恵比寿さんだけが登場人物ともされているそうです。恵比寿さんは唯一日本土着の神様だからなのでしょうかね。
今も、この曲が出される時は大概、出演者は一人らしいです。
しかし、曲自体古いので、当時のまま残っているかどうかは不明。もしかしたら、他の神様の物語が唄われている部分もあったりしたかもですね。何しろ、題名が『恵比寿』とか、『大黒と恵比寿』ではなく『七福神』ですからね。
この曲は三味線の練習曲として流行した時代があるのだそうです。「早間で三回弾くと手が上がる」つまり上手になると言われていたそうで。いくら早間といって、たった三回で上達するわけないじゃん。いやいや、もしかしたら神様パワーで上達するのかも知れませんね。
この曲が演奏で出される場合は、ご祝儀曲として番組の最後に演奏されるものなのだそうです。
確かに、歌詞の最後は「引く注連縄の長き縁を」ですから、これからも宜しくという感じですよね。
しかし、いろいろ演奏会やお浚い会に足を運んでいますが、あまり馴染みのない曲です。
お稽古もした事がありません。
先日、たまたま『長唄の美学』のCDを聞いていて、この曲を初めて聴きました。
すごっく古い長唄なのに、古さを感じません。とっても賑やかで楽しい曲でした。
今度、ちょっと浚ってみようかな?!