「義経伝説」がベースになっている長唄って
すごっく一杯あります。
有名どころでいうと
「勧進帳」なんかそうです!
義経の家来と言えば弁慶ですね。
弁慶の少年時代は本当に暴れん坊で手が付けられなかったみたい。
超巨大児で生まれて
鬼の子なんて言われちゃっていたのよね。
幼い頃からお寺に預けられちゃった弁慶。
弁慶は、ある日「千本の刀を集める」という悲願を立てたんです。
他者にとってはいい迷惑です。
夜な夜な街を徘徊して
刀強盗をしていたんですもの。
あと一本を手に入れれば念願成就という所で
五条橋で牛若丸(義経)に出会うのです。
子供と思って甘く見た弁慶は
牛若丸にコテンパンにやられて降参して
牛若丸の家来になっちゃうのよね。
ここまでのお話がベースになっているのが
長唄の「橋弁慶」・「五条橋」という曲です。
「橋弁慶」は明治元年、三代目杵屋勘五郎という人の作品。
能の「橋弁慶」がベースになって作られたものです。
重々しい感じで勇ましい曲、でも色気がない
なんてある本に論評されていました。
この「橋弁慶」のダイジェスト版という感じで作り直されたのが
「五条橋」という曲です。作曲は十三代目杵屋六左衛門という人で
明治三十年代に作られたものだそうです。
好みがありますけれど
私は「橋弁慶」の方が好きなんだけれどな…。
さてさて、義経が豪腕でならした弁慶よりも強かった理由。
幼い頃より預けられた鞍馬での修行の成果なのよね。
…牛若丸がなぜ鞍馬のお寺に預けられたかは
歴史の教科書でも読んでみてください。
鞍馬の天狗に教育された牛若は
見かけは子供ですが、武勇優れた人材に育ちました。
いつかお父さんの仇をとる。
それを目標に生きてきたんですよね。
仇…。それは平家一族ですね。
その時代のお話がベースになっているのが
「鞍馬山」という長唄です。
この曲は、安政三年に二代目杵屋勝三郎という人が作曲したものです。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり…」
さてさて、栄華な平家の時代も
頼朝・義経によって終止符を打たれました。
ここまでのお話は平家物語を読んでください。
えっ…長すぎ、意味分かんない。
確かに…。
兄弟力を合わせて
憎き平家を滅亡させたんですけれど
やがて頼朝と義経の間に溝ができちゃって
対立するようになっちゃうのです。
そして、とうとう義経はお尋ね者になってしまいます。
都を脱出し吉野の山に辿り着いた義経一行は
何とか逃げ延びようと策を練りました。
義経の愛人、静御前。
女の足は足でまといとこの吉野山でお別れします。
このお別れシーンがベースになっているのが
「船弁慶」の前半です。
そして、義経一行はまず九州方面に逃げるために
船に乗るのですが
その海上で、打ち滅ぼした
平 知盛の亡霊に出会い大変な事になってしまうのです。
このお話がベースになっているのが
「船弁慶」の後半です。
結局、弁慶のご祈祷が効いて友盛の亡霊は去って行きます。
この亡霊が去っていくとき
舞台の幕が閉まって
笛と太鼓が「送り」の演奏をするんですけれど
邪気を払うというか、すごっくかっこいいのです。
あれが中途半端だと呪われちゃう。
そんな感じですよ。
「船弁慶」は明治三年に能の「船弁慶」をベースに
二代目杵屋勝三郎の作品です。
そうそう、「鞍馬山」の作曲者と一緒です。
さて、吉野で別れた静御前は
結局、頼朝の家臣に捕まっちゃうのです。
鎌倉に連れて来られちゃう。
このお話が「静の苧環」という曲です。
明治四十一年、五代目杵屋勘五郎の作曲。
作詞は菊池武徳という人です。
この曲は鎌倉まで連れてこられる道中から
鎌倉で頼朝の希望で
白拍子の舞いを舞う場面が表現されています。
義経一行はその後追い詰められて
東北の方に逃げ延びようとします。
そして、新潟近くの安宅という関所で、
ちょっと危ない目に会ってしまうのです。
これが「勧進帳」です。
「勧進帳」には二種類あります。
歌舞伎十八番の「勧進帳」。
これは天保十一年に四代目杵屋六左衛門が作曲しました。
長唄の演奏会では、台詞を除いたものを演奏しますので
ちょっと筋が通らない感じになってしまいます。
もう一つは、明治三年杵屋勘五郎が作曲した
「安宅勧進帳」があります。
こっちは能の「安宅」の歌詞をアレンジして
曲が付いていますので筋書きは通るのですが
約一時間と長ーい曲です。
そうそう、どっちの「勧進帳」も能の「安宅」ベースとなっています。
また、違う視点で同じ背景なんですけれど
全然ストーリーとかけ離れて情緒的に表現されているのが
「安宅の松」という長唄です。
弁慶が天狗の化身というような設定の曲です。
明治六年、冨士田吉治という人の作曲です。
さて
弁慶は生まれてから二度しか泣いた事がないと言われています。
一度目は、
自分の娘を殺してしまった時です。
これは長唄にはありませんが
「弁慶上使」という歌舞伎で、
主人義経に謀反の罪の嫌疑がかけられ
主人の嫌疑を晴らしたくば
正室の卿の君の首を持って来いと頼朝に命じられた弁慶。
その卿の君の身代わりに
自分の娘を殺すというお話なんです。
娘の母はおさわ。
弁慶はたった一度だけこのおさわという女性と恋愛をした事があります。
そして、たった一度の契りで誕生したのが
この殺されてしまった娘です。
涙知らずの弁慶もこの時ばかりは泣いてしまいました。
そして、二度目の弁慶の涙は…「勧進帳」の劇中で流します。
義経一行は山伏(野山めぐり歩いて修行する僧)に化けて
弁慶の案内で東北の方に落ち延びていきます。
道中「安宅の関」という関所で
義経一行は正体がばれそうになってしまうのです。
関守の富樫という人に
山伏に扮している義経の正体を見透かされちゃうのよね。
で、本物の旅の山伏なら
勧進帳をもっているはず。それを読み上げろと言われるんですよ。
勧進帳とは、神社仏閣建立の為に寄付の目録みたいなもので
山伏が寄付を集める時に読み聞かせるものなんですって。
偽の山伏ですから勧進帳なんて持っていないのよね。
でも、急場しのぎで白紙の勧進帳まがいを読み上げるのですよ。
でも、まだまだ怪しまれる。
絶対にその若い山伏は義経に違いないってね。
そこで、弁慶は義経を
「お前がお尋ね者に似ているために皆に迷惑を掛けているんだ」
と義経をボコボコに打ちのめすのですよ。
当時は立て社会ですから
主人に手を上げるなんて許される事じゃないのですよね。
ですから弁慶の行為は命がけの行為なんですよね。
富樫もそういった弁慶の心意気を組んだのか
見逃してくれちゃうのですが
後になって弁慶は義経に詫びるのですが、
義経に「お前の機転で助かった」と
主人を殴った事を許してもらうのですが、
その場面で弁慶は人生二度目の涙を流すんですよね。
弁慶はまさしく体育会系ですよね。
私はそんな弁慶が大好きです。
なんか不器用な感じでね…。
長唄って面白いでしょ。
「鞍馬山」から「勧進帳」まで演奏すれば
義経ストーリーの出来上がりです。
そうそう、そういえば義経は東北の方で結局殺されちゃうのですが
実は、中国の方に逃げ延びて
チンギスハンになったという説がありますよね。
知っていました?本当かな…?