将軍徳川家慶の時代である。この方は十代将軍徳川家斉の次男である。家慶は45歳の時(1837年)に将軍職を継承する。けれど、十代将軍家斉は元気溌剌で実権は大御所の徳川家斉にあったといわれている。この家斉が亡くなったのが天保十二年の正月のことである。家慶の側近は父家斉の息のかかったものばかり。父の死によって解放されてまず行ったのが家斉の息のかかった連中を幕閣から追い出すこと。そして、寵愛した水野忠邦を老中の筆頭に置き“天保の改革”を行わさせました。
まあ、この当時の幕府の財政は火の車。とにか財政立て直しを水野忠邦は行ったわけです。
でも、人間、あまりにもキツキツというのは反感を持つばかり。世間に受け入れられなかったわけですね。
そういう時に現れるのが、反乱分子。革命を恐れ厳しい言論統制を行った。
天保という時代はオランダ経由で入ったヨーロッパの学術・文化・技術。つまり蘭学が盛んになった時代なのですね。しかし、幕府は蘭学なんてもってのほか。学問は儒学(儒教にもとづいた学問)のみ。それも朱子学(南宋の朱子によって再構築された儒教の学問)のみが学問であると統制。という事で、高野長英や渡辺崋山などの蘭学者たちを弾圧(蛮社の獄)が行われたりした。
「世の中お金よ!」ばかりではないと思いますが、国家の経済事情が悪くなると、必ず革命的分子が出現する。国家はそういった反乱分子を浮上させないように厳しく取り締まり、きつきつな統制をとろうとする。でも、そうすると民衆は自由を求めて反発する。悪循環。
そんな時代背景のあるなかで作曲された曲です。
三升屋二三治は江戸後期の歌舞伎戯作者。江戸蔵前の札差伊勢屋宗三郎。七代目市川団十郎を贔屓にして劇界入り。文化一年(1804年)に家督を継いだのですが、文化十年のある時。江戸三座の関係者を連れて八百善で大盤振る舞いをしたことをきっかけに廃嫡になってしまった。金に不自由しない立場からいきなり奈落に落ちた彼ですが、その後は劇作家として生きる。
こうして素晴らしい芝居や曲を残しているけれど、親の立場になればとんだドラ息子です。
私のまわりの人は、「五郎」とこの曲を呼びますけれど、本当は「時致」というのが本当の題名らしいです。
ご存知、曽我五郎・十郎の兄弟のお話がベースとなっているお話です。
彼等は鎌倉時代の人物。という事はこの「曽我狂言」の舞台は鎌倉近辺でございます。
だいたい、この兄弟も伊豆の方の人なんですよね。
けれど、踊りとか観ていると絶対舞台は江戸だよねという感じです。
この曲のストーリーは鎌倉の大磯の遊郭、歌詞にも出てきますが、化粧坂というところに遊郭があったのでしょうね。ここの少将という名の遊女が五郎の恋人です。この少将からラブレターをもらった五郎がルンルン気分だったかは分かりませんが、雨の中を少将の待つ遊郭へ向かうというお話。
踊りでは、「雨の五郎」という題名になっているのは傘をさして五郎が登場するからなのでしょうね。
で、踊りの場合は遊郭に行く途中、酔っ払いに絡まれて大立ち回りをして、五郎の豪快さが表現されているようです。
この曲は、本名題を「八重九重花姿絵」という九変化もの中の一つの曲です。
「時致(長唄)」「若衆(常磐津)」「稽古娘(長唄)」「鳶の者(富本)」「西王母(長唄)」「雷(常磐津)」「漁師(富本)」「鳥羽絵(長唄)」「狂乱(常磐津・長唄)」と九つあります。
漢の武帝が描いた「鯉魚の一軸」という鯉の滝のぼりを描いた絵があって、その絵からある日鯉が抜け出して川に逃げてしまいました。
大工の六三郎がその鯉を追いかけ大格闘。その鯉の格闘の中で、かつてこの鯉が食べた人物が一人一人吐き出されて踊るというようなお話のようです。
なんか、面白そうなお話ですね。
うん?という事は五郎は鯉に食べられちゃったの?
この曲は長唄として大変短くて全体で約十五分前後の曲です。
舞踊用の長唄には決まった形式があります。
①置き:背景等を説明する部分。
②出端:登場人物の登場。この曲の場合はセリの合い方なのでセリからの登場なんでしょうね。
③くどき:登場人物の心情等を表現しているところ
④踊り地:お囃子的にいうと「太鼓地」
⑤チラシ
⑥段切れ
けっこう分かりやすい曲という事から、初心者向けの曲とされているようですが、簡単そうで難しい曲という印象があります。特に最初の部分は「外記節」調という事でちょっと変わっているので難しいという印象があります。
また、この曲の踊り地はとても華やかで大好き♪
その前まで、ちょっと男っぽい曲調がいきなりパッと情景がはんなりと明るい感じになって、聴き心地も良いですし演奏していても楽しいです。
この曲を聴くたびに本当にメリハリがしっかりしていて、短い曲なのに良くまとまっているという感想を持ちます。
五郎は結局非業の死を遂げるわけですが、豪快でカッコいいというアイドル的な人物という印象を私は持っています。
曽我物の曲はどの曲も華やかで力強くて大好きです。
さて、歌詞を読んでいただくと分かると思うのですが、冒頭で舞台は「大磯ですよ」と唄っているのに、最後は何時の間にか江戸の吉原に変身しちゃっています。
今の世の中だと「筋があいません」とかクレームが来ちゃいますよね。
でも、当時は細かい事は気にしない。
そんな江戸の人々の粋な物事のとらえ方いいですね。
これが、曽我物語についての学術論文だったら問題でしょうけれど、娯楽ですから、結局「楽しければ良い」わけですものね。
気にしない、気にしない。