翁千歳三番叟-女性って・・・穢れているの??!- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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神聖である場所は女人禁制である。
相撲の土俵に女性が上がれない。
大昔は、鳥居を潜るのも憚られた。
船上に女性は不吉だから載せてはならない。
これらは女性という存在が「穢れ」のものと思われていたからです。
まあ、随分失礼なお話です。

清浄とは、健全な秩序を成している状態を指すそうです。もっとも清浄な色は白色。白色は色に交わっても色に穢れないものなのだそうです。
私的感覚でいうと、白は何色でも染まるものという印象があるが・・・そういう見方もあるんですね。
逆に穢れとは、生命の疲弊や、死といった状態のこと。女性は毎月流血します。流血は死をイメージするもの。また、出産する。この医学が進歩している今日においても、出産はけっして楽なものではありません。時として子供を産み落とすために、自分の命を引き換えにするケースもあります。
古事記において、イザナキが死んだ妻のイザナミを求め黄泉の国を訪れる。そこには無残な腐った姿のイザナミがいて、黄泉の国から懸命に逃げたというお話があるじゃないですか。
あのお話に・・・なぜ女性が穢れなのかが示されている気がする。
しかし、大昔は生命誕生は神秘のものとして、女性は穢れのものであると共に「斎む」ものともされている。でも、仏教導入により「男性よりも女性の方が救われにくい」ということもあったり、、、なぜか、「斎む」ものということが忘れられ、女性は「穢れ」のものという考え方が残ってしまった・・・なんて言っている人がいた。

「翁」とか「式三番」とか、能という芸能というより、神事。儀式という感じですね。
『翁千歳三番叟』はこの能の「式三番」に近いもので格式の高い長唄とされているけれど、まあ、長唄は長唄ですからね。女性が演じていることもありますね。
けれど、もともとの『翁』って、こんなにも神事に近い神聖な芸能であることは心していないといけないのでしょうね。
長唄の中でも特別な曲のような気がします。
しかし、随分前ですが、
どこぞの女性知事が相撲の土俵に上がらせろ。女性差別とか騒いだことがありましたね。しかし、相撲はそもそもは神事で日本神道に通ずるものですから、そういったことを知ったうえで騒いだのかなと思いました。
差別はあってはならないけれど、性差は仕方がないことと私は思っています。
どうひっくりかえっても女性は男性になれません。