クララ〜、くらら城跡に行って来たよ〜♪ | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

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☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

7月21日夕方、前々から一度行ってみたかった「苦辛城跡」へ、父と行ってみました♪

「苦辛城」は「くららじょう」と読みます。元々は「鞍良城」だったようです。

 

近場なのに、イマイチ場所がわからず、歴史的背景も曖昧だったので、

ネット検索して見つけたブログで場所の確認と解説を予習して出かけましたニコ

 

城跡は「皇徳寺くらら城公園」になっています。

「苦辛城跡」入口 

苦辛城跡 

 

入口付近の下り坂。近所の親子か、犬の散歩で降りて行きました。

苦辛城跡付近の下り坂 

苦辛城跡名称看板 

 

くらら城跡の説明板。

苦辛城(くららじょう)跡説明板 

くらら城跡からの遠景 苦辛城跡地 

苦辛城跡から見下ろす景色-2 苦辛城跡から見下ろす景色-1 

 

苦辛城跡の夕刻 

苦辛城跡から見える皇徳寺小学校 

苦辛城跡石碑 

茂みに隠れてる石碑 地震時の緊急避難場所になっている城跡 

 

くらら城跡から見える桜島はこんな感じ。

苦辛城跡から見える桜島 

昔もこんな感じで見下ろしていたのでしょうか……。

夕暮れの城跡麓 

 

10分程で夕闇が迫って来ました。

日没迫る城跡からの景色 

 

☆ 参考にした記事はこちら下矢印

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10724.html

 

この記事によると、城跡だから戦で亡くなった人たちの亡霊だか幽霊が……という話もあるそうですが、

島津忠良(日新斎)・貴久親子がくらら城を攻略したのは、

紫原の戦いで貴久が勝ったことを知ったくらら城城主平田宗秀が伊集院忠相の仲介で貴久を迎え入れており、

くらら城で戦があったワケではないようです。

なので亡霊が、、という心配はないのかも知れませんねウインク

 

また城の名前は、「くらら(苦参)」というマメ科の薬草がこの城の周りに自生していたことからの由来とも書かれていました。

 

 

では、今日はこんなところです。

梅雨明けが待ち遠しいニャア。。。ウインク