某公共TV局で放送された「ファミリーヒストリー」
という番組、
みなさんはご覧になりました?
第1回はルー大柴さん。
エンジニアだったおじいさまが旧満州へ渡り、
着実に実績を上げた後、ハルビンに立派な建物を造り
満州で最大といわれた時計店を経営されていたとか。
それにも驚いたけど、おじいさまの方針で
これからはロシア語も英語も出来なくてはいけない、と
息子であるルーさんのお父様に習わせていたという話にも
「さすが!やることが違うなー」と思いました。
ルーさんの芸風でもある英語を織り交ぜた話し方。
お父様も外国語混じりな話し方をされていた、というのは
以前聞いたことがありましたが、
「なるほどそういうことだったのか~」と納得しました。
ただ、実際はそう単純な話ではなく、
シベリア抑留も経験されたり
内地(日本本土)に引き揚げて来てからの生活が満州とは全く違い
苦労をされた分、彼の地での暮らしに対する郷愁に似た想いも
何となく織り込まれているのかもしれないな、とも思います。
私の母は、旧・満州の当時の首都・新京で生まれ育ったのですが、
この「前田時計店」の名前は母たちも聞いたことがあったのだろうか・・・と
ふと思ったりもしました。
そして第2回の宮川大助さんの回では、
戦前朝鮮半島に渡られたご両親や
あちらでお生まれになった大助さんのお姉さんお兄さんたちが、
終戦間際に命からがら満州経由で内地に引き揚げてこられた話も
私の母から生前聞かされていた引き揚げから戦後にかけての話と重なり、
想像に難くなく、胸が詰まる想いでした。
ただ、大助さんは戦後生まれで、
てっきりご両親は満州で暮らして
満州から引き揚げて来たのだろうと思っておられたそうです。
やはり、知ってるようで知らないことがいっぱいなんですよね、家族の歴史って。
日頃一緒に暮らしていたとしても、
両親や祖父母の昔の暮らしやその時々の想いとかは
改まって尋ねでもしなければ、なかなか知る機会は少ないですもんね。
ましてや、離れて暮らしていれば尚更ですよね。
ところで、私の「家族の歴史」ですが、
別ブログでは書いていたのですけど
こちらにも今後少しずつ綴っていこうかな~と考えています。
今回はとりあえず予告、ということで。
Bonne nuit.