遠い世界へ旅立っても | You can 〜病と向き合う〜

You can 〜病と向き合う〜

HIV感染者の闘病記録
まだ一生付き合っていく覚悟は持てないけども・・・
同じ境遇の方いましたら宜しくお願いします。

皆さん、こんばんは。

今年もようやく桜の季節になりましたね。

春を感じながらのんびり散歩してきました。

月日が経つのはあっという間です。





発芽米お試しセット








実は今年の1月にお母さんがこの世を去りました。








受け入れ難い日々を過ごしていました。


四十九日も終え、やっと少しずつ酷な現実を受け入れようとしている僕がいます。







別れは突然でした。


離れて暮らしていたので、夜中母の報を受けて駆け付けました。



始発の電車内。

何だか悪い予感が頭をよぎり、ひたすら涙を流しながら移動したのを今でも覚えています。







病院に着くと、そこには人工呼吸器に繋がれたお母さんがいました。








兄弟もお父さんも既に病室にいました。



今でもあの時の光景を思い出す度、胸が苦しくなります。




どんなに声を掛けてもお母さんは返事をしてくれませんでした。







医師の話だともって1ヶ月。


植物状態が続き、最期を迎えるとのこと。




頭が真っ白になりました。











きっとお母さんのことだからすぐ元に戻ってくれる。


1ヶ月も苦しい想いなんてして欲しくない。


また他愛もない話をしながら、「あの時は死にそうになったんだから!」なんてお母さんらしく笑い話になるんだろうな。なんて淡い願いを抱きながら祈るしかありませんでした。








しかしお母さんは、僕が到着して2時間後。

容態が急変し、息を引き取りました。







まだ50代と若かったお母さん。


これから沢山親孝行しようと思っていたのに。


だってずっといてくれると思っていたから。

あまりにも早すぎる別れを、未だに受け入れられません。






「早く悠に会いたいな。」


「身体に気をつけて元気に頑張りなさいよ。」


「結婚して孫の顔見せてよ!」





そんなお母さんの言葉が今でも聞こえてきます。




「はいはい、わかったから。」


「うるさいな、放っておいてよ。」



そんな返ししかできませんでした。


だってまた会って話せるじゃん。

そう思いながら、お母さんへ邪険な態度を取っていました。


親孝行どころか親不孝な子供だったなって。









でも本当はお母さんが大好きで、照れ隠しだったのかな。





去年の4月。

家族で僕の元を訪れてくれました。



「悠とこんなに一緒にいられるなんて何年振りかな。お母さん幸せだよ。忙しいのにありがとう。」



それがお母さんと過ごした最後の時間でした。



それと同時に直接会って交わした最期の言葉でもありました。









今回もお母さんは僕のことを待ってくれたのだと思っています。






1ヶ月も心配を掛けたくないと、すぐに最期を迎えたように思えてなりません。






まだお母さんに何も伝えられていません。


僕がHIVに罹患したことや、結婚は諦めたこと。


色んな話を聞いてもらいたかった。


でもお母さんに見捨てられるのが怖かった。





だけど、いつだって僕の味方をしてくれたお母さんだから、きっとそれらを知っても、お母さんは僕を支えてくれていたのかな。



もっと素直に甘えておけば良かったかな。



悔やんでも悔やみきれません。



ずっといてくれると思っていた大切な人を失い、戸惑い立ち止まる日々。



お母さんの時間は止まってしまったけど、僕は少しずつ前に進みます。





いつだって優しいお母さん。


沢山愛してくれてありがとう。



大好きです。