Kはそれまでのさえこの萎縮した姿勢から、ソファの背もたれにゆったり寄りかかり、脚と腕を堂々と組んだ、自信に満ちた態度になった。

周りにいる警官達に、なんだ、というような睨みを利かせて、驚く彼らに

「何を話せば良いのか」

と問いかけた。

一変した様子を見て、警官達の1人がまず名前を聞き、当然彼女は「Kだ」と名乗った。

住所は、苗字は、と同じような質問をされ、必要ないから覚えていないと答えた。

一緒に暮らしている人はいるか、と聞かれ、いると答え、解っている下の名前だけを添えた。


携帯電話を持っているか、と別の警官が尋ねたので、普段使う携帯はあるが、自分のものではないと言った。


Kからしてみれば、「むつ」の携帯だからだ。


その警官は「番号を教えてくれ」と言った。


Kは「自分のものじゃない番号を覚えているはずがないのに、バカだなコイツは」


と思いつつ、判らないと答えた。


警官たちはますます困る。


Kは1つだけ情報を持っていた。


お母さんのフルネームだ。


サブキャラクターの中で、日ごろからお母さんと気が合い、よく話していたKだけが知っていた。


Kはお母さんの名前を告げ、警官はそこから旦那の実家の電話番号を突き止めた。


間もなくお母さんが迎えに来て、Kは無事に家に帰った。




お母さんは迎えに行った時のことを、今でも可笑しそうに語る。



大勢の男女の警察官達の真ん中で、パジャマ姿でどっかりソファに腰掛けて堂々と警官と話すKは、いかにも自信家のKらしかった、と。




その日、目が覚めてから家に帰るまでの記憶を、現在の私は持っている。


解離している間の記憶は、それまで全くなかった。


それらの記憶を取り戻したのは、もっとずっと時間が経ってからのことだ。

新しいキャラクターが、1ヶ月と空けずに次々と出現していた時期のことだ。


とある出来事があった。




平日の早朝、さえこの状態で目覚めたようだ。


その日は雨が降る、寒い冬の日だった。


寝ている旦那をそのままに、暫く現れていなかったさえこは、隠し忘れたキッチンの包丁で手首を傷つけた。


パジャマのまま、滴る血をそのままに、フラフラと家を出た。


死のうとして、場所を探した。


近所の国道沿いをずっと歩き、車通りの多いその道の上の歩道橋に登った。


しばらく下を見つめ、歩道橋の柵を乗り越え、眼下の道路に向かって飛び降りようとする気持ちと、怖いという気持ちを戦わせていたようだ。


通勤時間帯にさしかかろうという時だった。


通りすがりの中年の女性が、柵の向こうで道路を見つめるさえこに気づき、「こっちに戻りなさい」と言った。


さえこは大人しく柵を跨いで通路側に戻り、女性に連れられて近くの警察署に行った。


寝巻き姿で血まみれの手首、歩道橋から飛び降りようとしていたというさえこに警察官は驚き、とにかく情報を引き出そうとした。


しかし、何を聞いてもさえこという名前以外は「わからない」と言う。


付け加えておくが、私以外のサブキャラクターは皆、住所も電話番号も、私の苗字すらも、何もわからなかった。


警察官は傷の手当てをしながらも、困り果てていた。


若い警官が


「ヤバイっすよ、この人。精神科に入院する方がいいっすよね」


と苦い表情で言っていた。


騒ぎを聞いて、近くにいた警官がどんどん集まってきて、さえこは自分が座っているソファの周りを沢山の野次馬に囲まれる形になった。




そのとき、音をあげたさえこからKがバトンを受け取った。

旦那の実家にいた時のことだ。




それまでは、私ではない誰か他のキャラクターだったらしい。


不意に解離時特有のトランス状態に陥り、誰だろう、と見守るお母さんの前で、また新しいキャラクターが出現した。




目を開けたそのキャラクターは、出てくるなり目の前のテーブルを見渡して、


「散らかってる。片付けろ!!」


とお母さんに命令した。


お母さんはハイハイとうなずき、テーブルを綺麗にした。




ところであなたは?と誰何したお母さんに、そのキャラクターは「カワサキ」と名乗った。


私の旧姓だった。




その後の様子を聞くと、居丈高で傲慢な物言いだったらしく、私の父を模したキャラクターであろうことが解った。


このカワサキが姿を現したのは、聞く限りではこの1度だけだった。




その頃、ゆきを始めとする各キャラクター達は、自分達の待機所のようなものを私が作ったと言い出した。


「次」に出るキャラクターが、ゆきの言う「心の待合室」という狭い部屋の小さなソファに座り、そこから「外」が見える窓を眺め、タイミングを見る。


その他のキャラクター達は、「心の待合室」の更に奥にある広い部屋、机と椅子がたくさん並ぶ「教室」のようなところで、それぞれ自由に過ごす。


「外」から帰ってきたキャラクターも、この教室に帰ってくる。


そして解離している時の「私」も、この教室にいるのだ、と言う。


ゆきだけでなく他のキャラクターも、これらの認識は一致していた。


次に誰が出る…「心の待合室」に行くキャラは誰が決めるのかという旦那の問いに対して、ゆきは


「なんとなく決まってる」


と曖昧な言い方をした。




全ては、キャラクターも、「心の待合室」も、「教室」とやらも、必要に応じて私が作ったのだと言う。


当然、私にそんな記憶はないし、作ろうと計画したことも思い立ったこともなかった。




私はずっと目を逸らしてきた「サブキャラクター」という存在を、いよいよ無視できなくなってきた。