2025年5月16日
思えばキリスト教とは子供の頃から付かず離れずの関係を保っていました。
夫の葬儀がきっかけで教区の人達とのつながりができ、現在はカトリックの洗礼を受ける準備をしています。
そこで教わって今まで自分が思っていたのと全然違うことがいろいろ発見されました。
中でも、「神が作った完璧な世界を自らの手で破壊している人間達。それを元の完璧な状態に戻す努力をするのが人間の生きる意味である。それをする人達は皆神の国に迎え入れられる」、という考え方は奥が深いと思いました。完璧な状態というのは外的な「自然を尊重する」というようなこともあれば、「争いや暴力が無く全ての人が平和に過ごす世界」ということもあります。キリスト教の諸団体が慈善事業に尽力するのはそういうことであったのか、と今さら納得。
良い事をするのはそれによって評価されて天国に行くためとか何々をしないから地獄に落ちるというのも間違いで、全ての行動は世の中を「修復する」ため。
また、これは受け入れるのが難しいのですが「神は全ての人を知っていて、それぞれにそれなりの役目を課しているのでそれに応えて生きるべし」という考え。私はこれで目が覚めました。夫と死別して空っぽになった人生に何の意味があるのかと思う気持ちから、自分が生き残された意味があるのだと思う気持ちに切り替わると同じ人生がすっかり変わって見えてきました。
せっかく生きているのなら世の中の修復に少しでも協力してみようかな、と。それは自分にできる範囲の小さなことでよい、というのも嬉しい教え。家族を幸せにすべくいつもニコニコしているだけでもよいのですから!