【軌跡3】肺転移の始まり〜術後一年半(2004年夏) | 骨肉腫女子の今を生きるブログ

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骨肉腫と12年付き合っています。(02年〜)
転移の数は数知らず…。
それでも今与えられた生を全うしたい。
それが私を生かせてくれた人たちへの感謝の
しるし。

そんな私のブログです。
色々関係ないことも全て、
骨肉腫の私が感じたことを書いていきたいです。


やっと主治医からこれまでの治療について、ざっと聞けましたあせる

2002~2003年のいわゆる足の手術・化学療法が終わり、大学を休学して静かに?実家でフリーター生活。
病気のことと言えば、松葉杖が嫌だなぁ~くらいに暮らしていました。

2004年に大学に入学し、上京。

そんな中、地元の病院での8月の定期検診で肺に転移が見つかりました。

その時は私に直接検査結果を言わず、
主治医は後ほど両親に電話で伝えました。二十歳になったばかり、まだまだ子供だったのかな…。
両親から転移を聞いた時、泣きました。

結局まずは10月に手術で腫瘍をとってしまい、
そのあとケモを4クール行うことになりました。

この頃ちゃんと記録してなくて…というより記録してたノートがどこかにいってしまい…その時点でまだ使えるメソトレキセートとシスプラチンをそれぞれ交互に各二クール、計4クールでした。

(間違っていたらごめんなさい…というか、多分間違っている…あせる

四ヶ月程度の入院でしたがなんとか休学せずに進学したくて、
大学の先生一人一人と会い、出席せず課題などでなんとか出来ないかお願いしていました。
今思えば、理解のある、心優しい先生たちに出会えて幸せでした。
もちろん無理と言われた先生もいますが、でも有難いことでした。


しかし次の年にも肺転移が見つかり、7月に手術、ケモをしました。
確か…2クールだったと思います。

イフォマイドだったのか…
すみません、もはや覚えていませんあせる
母に聞いてみます。

その時はどうやって大学の授業を乗り切ったのか…さえも覚えていない。
この頃未来を夢見て三年日記を買っていました。

今度日記を整理して、また詳しくお知らせします。

ということで、大学生活は転移との闘いでした。

でも、どこか楽観的な私はこれで最後だって思って過ごしていた気がします。

今思えばそう信じさせてくれた両親や主治医、看護師さん、に感謝です。

yukie