ラジオの喋りの推進力。 | 声と言葉と沈黙と。

声と言葉と沈黙と。

http://yukayoshimi.com/

継続で見ていただいている時代劇の講評を終え、異常な?楽しいテンションでリビングに上がると、オット帰宅。


晩ご飯はお品書きと指示書を作り、準備してたけど、ないす…タイミングやん…見てた?


激務でくたぼろのご様子なので、

好きなテレビ見ていいよ、と制空権を譲渡。


「深夜0時の森」


若林さんがラジオで言うてた、と延々とオープニングやって玉城ティナちゃん置き去り事件とか、え、カンペ出てないの?とかいろんな違和感で見始める。


あぁ、ラジオの人たちだ。


わが家…日テレは全く見ないのでミトさんも一回も見たことなかった。


あぁ、大エースの風格。


わかるわかるわかる。

わたしも時計の針見るの嫌になってたもん、わたし如きでさえも…。


ラジオの喋り。

将棋と同じで、先の手を読みつつ、想定外を楽しみつつ、その場にいつつ、先にも馳せて。


次につながるフックがかかった喋り。相手のリアクション(の言葉)を引き出す喋り。イメージは、七夕の輪飾り。


ぞくぞくするね。


今、喋り方を変えている。


一旦落として、丁寧に推敲して、選んで、疑って、恐る恐る言葉を発する。


確実に、放送の言葉ではない。


ある時、向き合った俳優さんに「僕のことを聞いてくれなかった」と講評をいただいた事がずっと引っかかってた。

ええ、五場ですよ、あーた。

あーた!(見てないか…)

ノラ演りたいなぁ。

もう一度、その人とガチで芝居したいなぁ…

神さま、お願い。


コロナになって「ちゃんと聴く」「ちゃんと喰らう」生活をしようと思った。

その結果、脊髄反射でなく、反芻牛方式で言葉を出すようになった。


また違った世界が見えた。


だがしかし。

披露宴の司会とかやってると、

「あれ、なんか今日スムーズじゃないかな…。感動して、言葉選んでる場合じゃない」とか思うこともあって、あー、向いてないなぁ…とか思ったり。定型でツラツラ言葉を出すだけが良いんじゃないし、と慰めつつ。地に足ついた骨太でかつプロフェッショナルな言葉を出したい。


あのレベル(天才・若さまと、天才・ミトちゃん)は、脊髄反射と反芻牛方式とを見事に両立させてる人たちなんだろう。


奇しくも。

書いたシナリオ。

「セリフ、会話が良い」と誉めてもらう事が多い。今回も然り。


ま、そーゆー事でカネ稼いできましたからね。

アナウンサーも、役にたっちょる。


ラジオの喋り、良いなぁ。

ほんと、ゾクゾクする。


天才に憧れる。


そうじゃないから、辿り着いた仲間達とは手を携えて励まし合っていきたいねん。

だれにでもそうしないのは、わたしの狭量さ。ごめん。


新クラスというより、同志の勉強会メンバーは大好きなガチメンバーが中心。

そして意外に?好みが同ベクトルな先生、どうぞよろしく。




一枚だけ見つけた、ラジオ時代の写真。

細っ!痩せとるなぁ。もう初老やから、しゃーない。



そして、うわさのお品書き。