文字という概念を抜けば、ただのその "形" だ


ここが黒で、ここが白で、というバランス、コントラストの形、白と黒の絵にもみえる


ขอให มีความสุขมาก ๆ ค่ะ

බොහෝම ස්තුතියි

желаю мира

गुलाब जामुन

ᖃᓄᐃᑉᐱᑦ

예쁘다

ኮካ ኮላ

寶寶

قطة



各言語の話者以外は意味がわからない、ただの記号、その形が並んでいるだけ、絵



その言語の話者はその音の "文字" として認識する事が出来る


 "文字" からその言葉の意味がわかる


その言葉から、自分の中のその形やイメージ、感覚やそれにまつわる体験、どこかで入れた情報等、連想ゲームのように浮かんでくる


同じ言葉でも、それぞれの人によって浮かんでくるモノは全く違う



逆に書いたり話したりする時は、自分の頭の中や心の中、五感、体感覚、フィーリング、その目に見えない領域のものを言葉でまとめて形や塊にして出している



絵を描く時も、その自分の中の目に見えない領域の感覚をそのまま線や形や色で出している


絵を見る人がそこから何を感じるかは、言葉のようにその人それぞれで全く違う


絵も言葉も、出した人の感覚や意味と全く違うように捉えられる事もある


同じかどうかを並べて比べる手立てもない


正解なんてものはないから、それぞれその時にそれをみて感じる事が正解だ


出した人の正解を探らなくてもいい

意味を正確に理解しようとしなくてもいい

その背後に含まれているバイブスを読む

なんとなく適当に読むだけでもいい


その人の世界観の中に行くのではなく、その絵や言葉をみた自分の中の見えない領域に繋がる、その感覚をみる、読む



絵も文字も、その形や配置から見えない領域の感覚を呼び起こす装置、という意味で同じだ


そもそも文字の成り立ちが絵や記号という事だもんな笑



自分の中の見えない領域の感覚を、音で出したり、メロディとして出したり、モノや形として出したり、人それぞれ出し方が違う


自分のソレをそのまま出せばいい


料理、写真、日常の事にも全て現れる


自分の当たり前と人の当たり前の感覚は違う


自分にとっては当たり前で普通で、特に価値がないように感じても、人からみたらそれは当たり前ではないから価値がある



これを踏まえて、商品や何かを選ぶ時の簡単な決め方がある💡


形になったものに見えない領域の全てが現れるから、その対象の写真やデザインを見た時の感覚や、言葉や文章の表現が、好きだな、いいな、合うな、と思うそれを選ぶ


頭だけで考えすぎずに、もっと感覚を広げて自分の全体で捉えてみる


逆になんだか違和感がある、どこかしっくりこない、のであれば選ばない

それは自分に必要がない


ぴったりと合う、これだ💡というものがある





オノマトペも、見えない領域の感覚を言葉にしたものだと思う


・川がサラサラ流れる

・触り心地がサラサラ

・風で髪がサラサラとなびく


・雪がしんしんと降り積もる

・雪がちらちらと舞う


・雨がざーざー降る

・雨がしとしと降る


・ざくざく

・さくさく食感

・さくさく進む


・カリカリ食感

・カリカリしてる人(感情)



日本語を学ぶ外国の方の中には、このオノマトペが理解出来ない事もあるそうだ


例えば "smooth/滑らか" という形容詞があって、その状態や手触りは分かってもそれがサラサラなのか、つるつるなのかが初めは区別がつかない


この手触りがサラサラだとわかっても、なぜ川が流る様もサラサラ、風で髪がなびく様もサラサラになるのかが不思議になる


どれも、「サラサラ」という音は鳴っていない

その質感をサラサラだと捉えている



つるつるのお肌/smoothと

つるつるの床/slippery の表現の仕方が違う


ざーざー大雨/hard rain、heavy rain

しとしと小雨/light rain、drizzle


オノマトペはその質感や感覚的なものを言葉にしてあるから、この感覚の事をこの言葉で表す、という事を自分の中で繋げないとわからない


同じ動きや状態でも、言語によってみる所、感覚のまとめ方、解釈の仕方が変わるのが面白い



同じ日本語話者が "ぺたぺた" という言葉をみた時、どのような質感のものかの共通認識はあるけれど、それが具体的にどんな物や状態が浮かぶかはやはり人それぞれだ


🐧🍯



日本に住み日本語が話せる外国の方が、「あなたの好きな日本食は何ですか?」とインタビューを受けていて


その方は「あのカシャカシャした食べ物が好き!」と言っていた


それは天ぷらだと判明するのだけど笑


天ぷらを食べたあの感覚が、その人にとってはその音で表すのか!と感動した⚡笑



同じ物でも感覚の捉え方や表し方は違う


同じ世界をみていても、その世界の捉え方や感じ方は全く違う


みんなそれぞれ一人一人、全く違う世界をみて体験している🌐


🍤



日本語で育った人や日本語話者がノンバーバルコミュニケーションが得意な理由は、このオノマトペのように感覚的なものを捉える習慣があるからなのかなと思う


逆にそれで自分の中で勝手に読みすぎて疲れたりもしているけれど



自分の中の感覚でしか世界を捉える事が出来ない


どう捉えるか、どう感じたいかは自分で選べる


見えない世界、4次元・5次元/高次元と言われている所は、どこか遠い所、どこか上にあるのではない


自分の中にある


自分の頭の中や心の中、五感、体感覚、フィーリング等、その見えない領域の事だ








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