出来ない事を克服するために頑張ったり、

出来ない自分、ダメな自分を責めたり、隠そうと頑張ったり、劣等感や罪悪感を感じる


でも世の中には、自分が苦手な事、頑張らなければ出来ないような事を、いとも簡単に呼吸するかのように出来る人がいる

出来る人は、出来るからやっている

ハタから見ると頑張っているように見えても、それがやめられない止まらないから🦐、楽しいからやっている

出来ない人が必死にやる頑張りとは、全く種類も質も違う


出来ないなら出来ないでいいじゃない

出来ない事を苦しんでまでやる必要がない

自分が呼吸するように簡単に出来る事が、自分が出来る事、だよ

出来る人がやっているのもソレだ

自分に出来る事が本当に息をする事だけしかないように思えても、それでいい

ここにちゃんと生きてる事が一番の仕事




社会に、自分みたいな変なやつ、おかしいやつ、ダメなヤツ、出来ない奴が1人くらいいたっていいじゃない


その為に、頭のいい人、出来る人が世の中が回るような仕組みを考えたりサービスを提供したりしている

それぞれの場所で、頭のいい人、出来る人が出来る事をやっている


出来ない人がいるから、出来る人がいる☯

愛、サービス、受け取る人、使う人がいなかったら成り立たない

愛、サービスだけあっても意味がない

観客がいなければアーティストはライブが出来ない

どちらもあるから成り立つ

どちらもただそれぞれの位置にいるだけ

それぞれの役割があるだけで、対等だ☯

出来ない人は頼る事、甘える事が仕事、役割だ🌸
 



ある宗教ではお金持ちが貧しい人にお金をあげるのは当然で、"喜捨" という神様に推奨されている善い行いなので、それをすれば天国に近づく、という教えがある🕌

そしてお金を貰う貧しい人は、当然の権利なので全くへりくだることもなく、劣等感や恥などもなく堂々としていて、むしろ善行をするチャンスをお金持ちの人に与えているんだから自分も善い事をしている、とさえ思っているそうだ

このような宗教だってあるのだから、頼る事、貰う事、甘える事が神様に罰せられる事、罪悪感を持つ事、恥じるような事ではないというのがわかるよね?


どんな自分でも生きてていいし、存在全てが赦されてる




例えば、予定を立てたり、目標を定めて計画的に戦略的に出来ない人

逆に、感覚的に出来る、今の喜びに集中出来る、という事

出来ない事じゃなくて、出来る事を見る

出来ない事がダメなんじゃない

出来るようにならないとダメなんじゃない

既にもう出来ている事がある

その出来る事が自分の才能