寝転んでいたら、身体の奥からどくどくと生命力が湧いて体中に溢れているのを感じた⛲
存在している事自体が豊かさの流れそのもの⛲
「私」という存在、命からしたら、何千万の宝石だって何億円の家だって、「私」に喜びを添えるもの
「私」が見ないと、認識しないと存在しない
「私」が見るから、認識するから存在する
「私」のために全てが存在している
それぞれの「私」という視点を中心に、それぞれの「私」のために存在している
コンサートをするアーティスト🎤
それを見る観客がいないとアーティストは成り立たない
観客の「私」とアーティストの「私」は対等で、ただ今それぞれの位置、それぞれの視点、にいて愉しんでいるだけだ
教える側↔教わる側
与える側↔与えられる側
どちらが偉くてどちらが劣っているのではない
ただその位置、その役を愉しんでいる
それぞれの場所や役へのリスペクトがあるだけ
欲しいけど、なりたいけど自分にはそんな価値がない、素晴らしいものに相応しくない
と感じるのは何でだろう
「私」の命、存在に値しないものなんて何もない
足元にも及ばない
全てはお刺し身のツマくらいのもの
何兆円もかけて整備された道路や電気水道等のインフラ設備を享受しているし
何千億円もかけて開発されてきた飛行機や電車や車を享受しているし
何億円もかけて企業努力で開発製造した商品を手頃な値段で購入できて享受しているし
どれだけ研究してお金をかけても人間には造れない身体を持っていて自由に使っている
今すでに莫大な価値を受け取っている
受け取れないものなんてない
生きてるだけで、水道光熱、食料、何かにお金を使い、どこかの会社の役にたっている
全ては使う人がいないと成り立たない
呼吸すれば、二酸化炭素と酸素のやり取りで木の役に立っているし
生きてるだけで何かの役に立っている
「私」の世界を見る
「私」の世界を開く
という役割がある
「私」がこれが好きだと思う
「私」が欲しいと思う
「私」がやりたいと思う
それ以上に美しいものはない
それ以上に大切なものはない
「私」という存在
「私」がそう思う
それが全ての価値に値する
「私」が見ている世界なんだから、「私」の好きなように叶えて受け取って愉しんでいい