「今」「私」が前世の〇〇の記憶をみている


「今」「私」が宇宙人とチャネリングしている


「今」「私」が〇〇の言葉を聴いている


「今」「私」が○○のエネルギーを感じている



生まれる前に何かがあるわけではない


何光年離れた宇宙にアクセスしているわけではない


高次元の何処かに存在しているわけではない


外側に対象があるわけではない


それが過去でも未来でも



「今」「私」がそれを感じている


「今」「私」がそれを視ている


「今」「私」がそれを聴いている


「今」「私」がそれを開いている



💫



制限感、罪悪感、優越感、開放感、意識の広がりetc.


そのようなフィーリングやインスピレーションを、前世や◯◯星の事、チャネリングしている存在、というようなストーリーとして捉えている


そもそもそのようなフィーリングを「今」「私」が持っている


この欲の制限感はこの時代の貴族の贅沢と市民の抑圧、富は有限で奪いあう、て所からきてる、というようにストーリーを持たせて捉えたりできる



ストーリー関係なく、シンプルに「今」「私」がその制限感を持っているだけだから、「今」「私」が好きな事するだけでいい∞


何かの対象から影響を受けているのではなく、「私」がそれを持っている、感じている


「私」が持っている、感じているものを、対象からきているとして捉えている


(ストーリーを持たせても、シンプルに捉えても、どちらでもいい、趣味、愉しみ)



💫



私は前世も何も全然覚えていないし、そもそも前世があるかないかなんてわからないし、どうであってもいい


神様やマリア様を感じるとか、天使、精霊、守護霊、宇宙人、ありとあらゆる目に見えないとされている存在をみたことも聴いたこともないと思っていた


しかし、それらを見たり聴いたり感じたり出来る人がいるのは分かるし、尊重しリスペクトしている



自分が全く出来ないのでそういった人に聞いた事もあるけれど、自分に取り入れるにあたっては、なぜそれをそうだと言えるのだろう、


神や天使のふりをした紛い物かもしれないし、絶対に証明できない前世や見えない存在をなぜそうだと信じられるのだろう、と思っていた



💫



現実世界において、自分の感覚があるから見えたり聞こえたり触れたり、何かを感じたりする


「私」が感じることが「私」の世界を作っている


「私」が感じている事が全てだ





見えない世界においても、「私」が感じるからその存在を感じられる


(存在しているから感じられるなら⇔「私」が感じるから存在している、と捉える事もできる)



その存在を信じるのではなく、その存在を感じている「私」の感覚を信じる


誰かや何かの存在を信じなくていい、正誤に振り回されない、「私」を信じれば良いんだ!とわかった時心の底から喜びが溢れた⛲



「私」がそう感じるなら、そう思うなら、それでいい、それが全て


合ってるか間違っているか、誰に確認を取らなくても、承認を得なくてもいい



そうしたら、もっと自由にみえない何かを感じるようになった


いや、元々感じていたのだけれど、はっきり○○という存在だと識別できないからこれは違う、気のせいだ、と流して認識さえしていなかった事だった


気のせい、なんとなくそう思う、が目にみえない世界のそれだった


みんな本当は何か感じているけれど、気のせいにしているだけだ



亡くなった人が思い浮かべば見守ってくれてるというサインとして受け取っていいし、


何かの存在👼👽🧚‍♀️🧜‍♂️🧞‍♂️⛩️が思い浮かべばそれはもうコンタクトしているし、チャネリングしているし、


エネルギーもらった、と安心したっていい


誰か特別な人だけができるんじゃなくて、誰でも出来るしすでに無意識にやってる



目に見えない世界がすごくて崇高なわけでもなく、現実の人や動物達となんら変わらない、グラデーション👼👭🐈👽🦎👫🐖🧚‍♀️🐧👬🐝🧜‍♂️🕊️🧞‍♂️⛩️

(どの次元においても存在全てがスピリチュアルと言える)



自分が感じているから自分が思いついた、インスピレーションがきた、と処理しているか、


それを天使から教えてもらった、宇宙人とチャネリングしてきいた、と処理しているかの違いだったりする



(広い海の水を掬うために、♡の型を使うか、☆の型を使うか、△の型を使うかで変わるように、


その人によって型も違うし掬う場所も違うから違う表現、世界観になる


ある人からは白にみえ、ある人からは黒にみえる)



唯一絶対にわかるのは「今」「私」


時間を経て自分の意識や造形は変わっても、それをみている「私」という視点は変わらずにずっとある


絶対的に信頼、安心できる


他の存在に頼らなくても、「今」「私」に全てがある



世界をどう捉えても、どう解釈してもいい


「私」の心が楽になる、意識が広がる、ならそれが「私」にとっての正解