これは、美意識が低い自分を責めたり、美しい人と比べて落ち込む人に向けたブログです⚖
"美意識が高い"
美に対して努力したり我慢したり頑張っていたり、家でも外でもいつでも美しい、完璧な人にかけられる言葉のイメージ
逆にそのような事が出来ない自分は "美意識が低い" 、そんな自分はダメだ、もっと頑張らなければ、完璧でない自分はダメだ、とならない?
もしくは、そんな "美" の人に対して劣等感、自分が恥ずかしい、どう思われるか、見られたくない、とならない?
でもさ、自分は "美意識が高い" と言われている様な事をしない、という美意識があるんだよね
自分はそれをせず楽を選んでいる、しない方が心地よいからしない、その様な事を気にせず楽しみたい、めんどくさいからしない、違う事に注力したいからしない、色んな理由がある、それが自分の "美意識" だ
それに高いも低いもない
ただそれぞれ違う"美意識" を持っているだけ
高い低いで捉えるから、低い自分が何だかダメなような 、責められているような、劣っているような気持ちになる
逆に自分は、その楽をする、何もしない、という "美意識" が高いとも言える笑
"美意識が高い" 人は、自分の"美" に対する美学が明確にある人、だ
何を"美" とするのか、基準も違うから比べるものではない
自分は自分の"美意識" で生きればいい
自分の事を認められないと、人の "美" を見た時に素直に受け取る事が出来ない
人の美しさを認める事が出来ない
大した事無いと相手を下げるか、相手を崇めてそうではない自分を責める、落ち込む
美しさは人それぞれ、好みも人それぞれ、自分が美しいと思う人を皆んなが好きなわけでもないし、自分が美しいと思わない人を美しいと思う人もいる
ぱっちり目鼻立、完璧なメイク、絞り込まれた完璧なボディライン、が美しい、好きな人もいれば
メイクしないあっさりした顔、ふくよかな身体が美しい、好きな人もいる
造形のこだわりはなく、内面しか見てない人もいる
だから、自分がどこかで言われている"美" の基準に当てはまっていないからといって、劣っているという事は全くない
その基準にならなければいけない事もない
自分は自分でいいし、人は人でいい
人を美しいと思っても、自分の美しさが減るわけではない
その人が美しい事を認めても、自分の価値が減るわけではない
美しい人に自分の分の愛が取られるわけでもないし、減るわけでもない
その時や相手次第で変わるような為替ではない
それぞれ不動の価値だ
人は人で美しいし、自分は自分で美しい
"美" の現れ方が違うだけ❏❒❑
人を美しいと思える分だけ、自分もその"美しさ" を持っている
人の中にそれを見つけられるという事は、自分の中にそれがあるからだ
自分らしい美しさを磨けばいい
こうすれば綺麗に見えるんだな、こんな可愛く生きて良いんだな、と自分の為に使おう
比べて卑下するのではなく、比べて違いを楽しもう
それぞれのユニークさ、美しさを見比べて称え合おう🤸♂️🤸🏽♀️🤸🏿♂️🤸🏼♂️🤸♀️🤸🏻♀️✨