庭に作った小さな畑にセロリを植え、その季節は終わってもなんとなく収穫の時期を逸してしまってわさわさになった硬そうなセロリが残った。(実のところ全くセロリに見えない。よく光合成できる濃い緑の、なにかむしろパセリのおばけ。)。

 

 発酵に凝っている。発酵に凝ったのか今が初めではなくて、だいぶ前にけっこう熱心にやった。

 

 

2016年ごろだったので、7年たった。母がイレウスで入院して介護がついたころよりも前だった。あの小倉ヒラクさんの本は、実家に帰って母もつれて熊野川沿いを本宮に向けて走り、たしか下湯川の先祖の墓参りをした帰り九重のドライブして入った店で見つけたのだった。母も元気だった。けれども母はたしかそのときに、自分が父母の墓参りに来れるのはこれが最後かもしれないなと、母の実家の裏山にある墓地の急な危ない道を上りながら言ったのだったと思う。

 

 

 ともあれ、化けセロリがもったいないので、塩、昆布、唐辛子、ニンニクとともに漬けた。

 あとで妻に言われたのだが、セロリは筋をとってから漬けるべきだった。

 

 数日して、さすがのセロリ漬けにもやはり乳酸菌が繁茂し、ちゃんと漬物の味にはなったのだけれど、筋(つまりはセルロースだろう)を分解してくれるわけではおそらくないので、硬くて食感の悪いのがいちおう仕上がり、責任をとって僕自身が平らげた。けっこうな量であったことよ。腸活として、乳酸菌を摂取することを自分に奨励しているので、薬食いのようなもの。

 

 

 

 ところでこれも買ってしまった。アマゾンでタイムセールしていたので。

 昨夜から妻が 甘酒を仕込んである。甘酒は飲む点滴ともいうらしく。

 綾部山梅林の春先の梅観にいくたび、甘酒にしますか梅ジュースにしますかと

 観梅券でもらえる飲料を選ぶとき 梅ジューを選んでしまう僕は 甘酒はあんまり好かんのだが

 健康にいいと言うし、それに日本の発酵の王道である麹を使ってとりあえず発酵食品でもあるので

 その理念にしたがって あとで堪能しつついただこう。

 

 このヨーグルトメーカーでは納豆を作ってみたいと思っている。早速大豆は買った。

 少林窟道場だとでかいどんぶりに自家製の納豆がたしかどっさり出てきたような記憶がある

 

 とにもかくにも発酵は世界を平和にすると寺田屋さんが書いていたものだから

 世界の平和のためにこのところ発酵にこりこりである。腐敗か発酵かの分かれ道が世界の平和のための分かれ道だと斎藤一人もいう。

 

 

 微生物の仕業でも、人にとってありがたいのが発酵で、人にとってむしろ害悪なのが腐敗だという。つまり”人にとって”というところが分かれ目である。人がいなければ発酵も腐敗その区別は無い。納豆を最初に食った人間は勇気があったか、よほど腹が減っていたのであった。寺田さんは、人と人の関わりや、対社会的な仕事の在り方も、発酵つまり人の役に立って人が幸せになるという単純な方向にむかって見返りをもとめない微生物の三昧で素朴な生命の発動こそが世を心豊か(物も)にすると言っている。寺田さん自身の病気の経験などもあって、深くその理念を観じ取ったのだと思う。

 

  そこに魅かれる。"発酵の技法"にも同じようなことが書かれていた。つまり発酵という料理活動は、生命との触れあい、学びなのだと思う。たかが漬物をそこまで掘り下げるかと、漬物なんか腐るほど(!?)やってきたわいと母に笑われそうだが。その母も今は、プレザンメゾン姫路広畑でのんびり暮らしている。また土曜に会いに行く。