例年のごとく連休に南紀新宮に帰省し、その帰路に田辺でミカン買うために立ち寄った
直売所で みかけた ヒグチもやし という小袋を買った (衝動買い)

もやしもん という漫画がある もやしとは種麹のこと。もやしもんは 農業大学で発酵を学ぶ連中のお話しである。
この袋には様々な日本の発酵食品を作る要である麹のさらにそのもと、種麹が入っているのである。これ買ってどうすんねんという怪訝な妻。

私は最近なにでもいいから発酵したいという強い衝動にかられている。
先日の施設公開に向けてゾウリムシを増やしてみたあたりから、なにやら
細胞が増殖する様に本能がざわめくのを抑えきれない。つまり私自身が細胞でできた
生物だからだろう。いかに、放射光や自由電子レーザーが生命を解明するのだと声高に
叫べども、またそこに解明されたタンパクのコンフォーメーションが画期的な発見であっても
どうにも、この生命という実際にそこで生きているものたちの
生々流転する取りつく島のない流れの自由さには それとは別の
理解不能の打ち勝ちがたいパワーを感じる

思えば、リング棟から見える景色も 冬から春 そして施設公開のころに向けて
美しく 緑となる この地方の山林は冬はすっかり落葉してしまうものだから
春になると色がもどって生命をもりかえすことに いつも癒されてきたようなところがある

 今日は、飛び石連休の最後の日だから、こいつの仕込みをしてみた
 米麹である。ネット上には、うまいやりかたがいろいろ研究されていて、
 なるほど発酵はブームなんだなあと痛感する。実は 南紀新宮にいた間に
 ブックカフェ九重
に立ち寄り、そこで

  発酵のひみつ という超面白い本に出合った。
スペクテイター〈35号〉 発酵のひみつ/幻冬舎


 発酵狂いの人たちが最近増えてて、だいたいスピリチュアル系関係とのオーバーラップが見られる。

  微生物の神秘というやつだ。それは学校で生態学を学んだときすでにふつふつと予感されてくるものがあったように。彼らは分解者であり、死体をきれいにかたずけて循環の中にもどしてしまう。物質循環が流転している様は、宇宙の調和そのものであり、働きが単純であればあるほど、神の与えた役割に忠実な感じがして、人間のようにややこしくない。

 そんなわけで、私も、よちよちよ一歩を、もやしを買って初めてみる。米を蒸して、種麹をさきほど植えました。発泡スチロールボックスにホッカイロ5つほうりこんで、発酵開始してます。
明日になるとコウジカビが生えているということになっているが、さてうまくのでしょうか?

 計画としては、これがうまくいったら、これを使って味噌にいきたいと思います。
 そんなことをやっていると、昼に行ったゆるんどうさんが出してくれた味噌汁が妙にうまい気がした。

 発酵の世界に引き付けられてはまる人間が続出しているというのは、なにか大いなる力のなせるわざにように思われてならぬ。私もそいつにしてやられている、ゾウリムシ以来。