禅人というサイトがある。

 

    ――――  「ごくフツウのお坊さん」たちが、悩んだり迷ったり楽しんだりしながら、心を込めて作っています。【禅人 から】

 

   このサイトのことは横田南嶺老師のYoutubeで知った。

 

 

 

  西村古珠和尚の講演もこのサイト”禅人”に載っている。

 

 

      

            サイトの中に、仏教学者 佐々木閑先生の ”なんでもQ&A” というコーナーがあり、その中の一つの質問

 

 ---- 宗教とは本来「人間を救うためのもの」だと思いますが、なぜその宗教を原因とした戦争が起こるのでしょうか?(J.Yさんの質問)

 

 というのに佐々木先生が答えたその答えが、 すごすぎて、どきりとした。

 

 

   

 ----Answer :
宗教が人を不幸にする一番の原因は、「正しい自分たちが勝つことを喜び、正しくない他の連中が負けることを喜ぶ」という気持ち、つまり征服欲なのです。


 

  だそうである。 全文は上記サイトで読むことができる。
   
  オリンピックなどで、自国が勝てば嬉しくて 盛り上がる という心理にも 実はこれが潜んでるとも 書かれている。 まあ みなさんが 応援して楽しんでいるときに 水をさすでもないので、佐々木先生も やんわりと、そういうこともあるんだよということを 僕らは意識のどっかにおいといてもいいんじゃないかな という感じで書かれている。
 
  しかし 考えてみれば 宗教団体が そうなってしまうは、それこそが人間の持っている 原罪的な宿命とも思える。 このサイトは”禅人” つまり”禅”のお坊さんが 作っておられるので、そういうキリスト教的(あるいは真宗的ともいうか) ”罪”のことに かかわってくる この佐々木先生のアンサーはなかなか 異彩を放っている。
 
  奇妙なことは、宗教は、その”征服欲”に対するアンチテーゼであるはずなのに、いつの間にか そのアンチテーゼに対するアンチテーゼに反転して、最も忌み嫌うべき ”征服欲”を効率的に発動する組織というもの変異する(変異と言えば、今は コロナの変異株ですね。どっちにせよ 妙なものに変異するのは この世の宿命であろうか)のである。
 
  僕は時々思うのだが、例えばキリスト教というものが、人の苦しみを救い得るものの一つとして イエスから2000年後のこの世界に存在しているのは、間違いなく ローマという大国がキリスト教を守り伝えた歴史による。 ローマ市民パウロは命を賭してその教えをローマに浸透させ、時を経てローマはローマそのものの安定にはキリスト教が必要と考えるようになった。
 
 そしてその歴史には、中世における魔女裁判や異端の迫害のようなもの、あるいは十字軍とか、キリスト教布教の名のもとに行われた侵略のようなものが、多数あり、そして今現在でもヴァチカンには莫大な金が集まり、また金集めのうまい神父が出世する(って本当に神父さんから聞いたことがある。”神父の出世”?)。
 
  それでも、教会が立派に建って、人が集まって祈れて、出版物を出版できる金があり、そのおかげで僕らは”教え”に会うことができる。
  
  奇妙でもあり、自然でもあり、しかし形にばかりとらわれていると本質を見失う という言い古されたような 言い方にはなるけれども、
そういうことを思い起こさせられた 佐々木先生のアンサーだった。