その和尚が50代の若さで遷化して一年になる。昨日、命日だった。

 一昨年の暮れに、宝林寺の西村古珠和尚がご病気で、療養されているということを旧友から聞き及び、数年ぶりにかけつけると、奥様が出てこられ、明るく、
 
   ”おまちかね”

と笑った。庫裡(といってもモダンに本山から建ててもらった)に通され、待っていると、”お待ちかね”の和尚が、やせ細っているけれど、輝くような笑顔で現れた。数年前に、よく坐禅会にお世話になっていたころとは、ルックス的にずいぶん変わってしまわれたけれど、笑顔はむしろ倍増しているようにさえみえた。

 僕が、どうして坐禅会に来なくなったのか、などということを問うことはなかった。ただ、再会がうれしい、という様子だけだった。

  ”梅干しの種を飲んじゃったんですよ”
 
と和尚が言った。そのあと、胃がちくちくするようになり、医者に行ったらステージ4の胃癌で、余命は数か月と言われたにもかかわらず、その後、2年を経ても、食事や様々に奥様のご尽力もあり、朗らかに生きておられた。(この”梅干し噺”は、和尚がここしばらく、法話の中の笑い話のネタにしているようだった。) そして、その朗らかに人柄に惹かれて、多くの人が集って、にぎやかな”お寺”になっている。その日も、本堂で、なにかが行われている様子であった。

  次の週末 坐禅会に久しぶりに参加した。和尚はお元気に、経をあげられ、ともに坐った。茶礼のとき、壁にかけられていた書を見て、

 

  ” これは横田南嶺老師の言葉をもらって書いたものだよ、”

 

と話された。横田南嶺は、臨済宗の本山円覚寺の老師、私の同級生である。高校のころ全校生徒に人望厚い生徒会長であった彼を手伝って、僕は生徒会幹事をしていた。子供のことから一味違う存在であったが、だれもが自然にそうなるだろうなと思い描いた通り、出家し、今は当世を代表する禅者になっている。和尚のご病気のことを知らせてくれたのも横田老師だった。

 

 壁には、和尚の暖かな書体で、こう書いてある。

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 私の四弘誓願    (四弘誓願)

 

いろんな人がいるけれども 今日一日 優しい心でいよう 

(衆生無辺誓願度)

いろんなことがあるけれども 今日一日 明るい心でいよう

(煩悩無塵誓願断)

この道は 遠いけれども 今日一日 一歩進もう

(法門無量誓願学)

なにがあっても 大丈夫 今日一日 笑顔でいよう

(仏道無上誓願成)

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  ”この最後のとこは、横田南嶺老師の言葉を(勝手に、と和尚は付け加えた)もらったものですよ””、

 と和尚は言われた。

  -- 勝手に使ったって、特許じゃないから怒らないと思いますよ。。(いい言葉はみんなで使うべきなのです。)

 

 

  和尚は、布教師として、横田南嶺老師の勉強会などに参加され、いつしか懇意にされていたようだった。和尚は、南嶺老師とも年齢もあまり違わないので、気持ちも近い感じだったのだろう。また、和尚は、南嶺老師と同様、お寺のご子息ではなく、学生時代から禅に傾倒し、出家を決意された方だった。

 

  ”年明けたら、1月の11日から13日まで、ここで展覧会するんだよ。そして、その一日目の晩に相生のステーションホテルアネックスでパーティーするから、きませんか?”

 

と和尚は言った。パーティーという言葉を使うところが和尚らしく、僕は、その日は学会で名古屋にいますが、早く帰ってきて参加しますと言った。 

 

  年明け2日に、年始のご挨拶にいったら、やはりお元気に座っておられ、もてなしてくれた。体が動かなくなって、うまくおせちが作れないからと、和尚を慕う彫刻家の岸野承氏と、和尚の弟さんが来られて手伝っていた。和尚は、毎年、こうしておせち料理を作り、お参りに来た来客を奥様といっしょにもてなす正月をここで過ごしておられた。 和尚に、土産に、横田南嶺の高校のときの生徒会の写真だと言って、郷里の高校のアルバムを見せたら、たいそう喜んでいた。

  

――――人間は、我というものをなくすのは、難しいものだけれど、自分でそれが無くせないなら、よってたかって先輩に無理やり、自分のものを取り去ってもらう。それが僧堂の修行だった。そのとき、ちくしょう、って思うんだけど、あとになって、ほんとにありがたいって、 感謝になるんだよ。そのうち、そういう禅堂の生活が、自分にとってよくなっちゃって、ずーっとやっている人が出てくる。そんな人が 老師なんかになっていくんだなあ。横田南嶺なんて人は、その最たる男だ――――――

 と和尚は言った。

 

  仰天坐禅会は1月5日が初日だったので、早朝から支度して、参加した。しかし、その日 和尚は出てこられず、いつもなら、お勤めから始まる坐禅会は、随座となった。熱心な坐禅参加者で、相生でクリニックを開いておられる医師 H先生が、主治医となって和尚を看ておられた。 昨夜あたりから、非常に具合悪く、起きられなくなり、奥で寝ているという。

 

  三炷の坐禅と経行をし、作務をし、また7時半から合流する人たちと坐禅して、その後、いつもなら茶礼だったが、奥さまが出てきて、今日は和尚が動けなくなって、寝ていると言われた。でも首から上は、元気でしゃべってますよ、と言う。会われるかたは、どうぞ。と言った。

 

  僕は、和尚と話すため、奥のふすまの向こうの部屋に入れてもらった。。。。(続く