一夜明け、中日を迎えた「五人展:山雲海月」を見に、宝林寺に行った。

 

  坐禅会の時と打って変わり、陶芸、彫刻、水墨画、の作品がずらりと展示してある。4人の作家に和尚の法話が加わって五人展である。

 

  陶芸家の岸野寛氏が受付をしていた。和尚は? ときくと、昨夜体調を崩されて病院に搬送されたという。今日の法話は大丈夫なのでしょうか?と問うと、

 

――― いや。もう。。。。

 

と言葉をつまらせた。ついに、その時が来てしまった。今、こうして五人展を続行しているのは和尚のご意思だった。自分に何があってもこれをやり遂げるようにと。

 

  今日の法話は昨日の録音が流される(注1)という。

 

  法話の時間が来た。あまり広くない宝林寺の本堂に、集った人たちに向け、和尚の声が響いた。

 

  法話は、読経を合わせ1時間弱に及んだ。 まずは、落語の枕のように”梅干しの種を食べちゃったんですよ”から闘病生活を明るく語って笑いをとった。その後いよいよ5人展の5人目の男としての作品、”この法話”に込めた、メッセージ、”本当の幸せ”とは、何かを熱を込めて語った。

 

  そのキーワードは、”比べないこと”だった。昨日と今日を比べない。今日と明日を比べない。今ここ。今日一日。たとえ病魔が体を蝕み、命の時間が限られていても、昨日はもう過ぎ去ったこと。今日一日精いっぱい生きること。これならできる。人と自分を比べない。私に与えられた、私の道を行くこと。

 

  そうして生きてきながら、ご自身が僧侶として長年やってきながらも、どうしても腑に落ちなかった四弘誓願

 

衆生無辺誓願度   私は地上にいるあらゆる生き物をすべて救済すると誓います

煩悩無塵誓願断   私はすべての煩悩を絶つと誓います

法門無量誓願学   はてしなく多くの教えを学びつくすことを誓います

仏道無上誓願成   はてしなく深い仏の道を完成しかならず仏になると誓います


の一句一句の前に、”今日一日”という言葉を付け加えれば、やっと納得できるようになった、と語った。

 

  ”今日一日、衆生無辺誓願度。これならできるかもしれない”。

 

  そうして、和尚の作品”私の四弘誓願”ができたのだった。

 

  法話の締めくくりには、今回の五人展のタイトルである山雲海月(宇宙の神羅万象)そのものが、四弘誓願を誓って、私たちを励ましていることを、体力を振り絞り、病身のどこに残っていたかと思われる大声で叫ぶように言った。

 

”山雲海月の四弘誓願なんですよ!

山雲海月が、今ここ、
おまえは笑ってていんだよ!!
言ってくれてるんですよ
どうですかみなさん。今ここに徹底したらね。なにがあってもだいじょうぶ
なにがなくてもだいじょうぶ。
いまここ 山雲海月 私 
今日一日笑顔でいよう
山雲海月がわたし 
私が山雲海月
みんな笑顔になってわらっとるんだよ”

 

 この大声は、直接魂に響いてきた。それは、一生忘れることができない、声となった。僕は、和尚が、はっきりと、ご自身の命で明らかにされた真実をそのまま信じて生きていけばいいと思った。世界も宇宙も愛に満ち溢れているんだ。まるで”兄貴”のように和尚は言い放ってくれた。

 

  僕は、この法話を心に刻み、宝林寺を後にした。

 

  夕方、坐禅会の友人から、和尚の遷化を知らせるメールが来た。


   和尚は、搬送先の病院で鎮痛剤で痛みを止めてもらい、ご自分のご希望で宝林寺にもどられ、最後は坐禅の姿のまま遷化されたのだった。

 

注1 和尚の法話の録音を、書き起こさなくてはならない、という強い気持ちが生じ、私は、Youtubeにアップされたそれを、何度となく繰り返し再生して、その一言一句を書きとり、冊子にし、宝林寺にお渡しした。