KBSラジオカーAD時代「勇さん業界入り物語」(後半) | 川本勇オフィシャルブログ

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”ミスターびわ湖”勇さんこと川本勇の日常を様々な角度から綴る川本勇人間解剖ブログ。

大学生活の最後の一年間、月曜から金曜まで、私はKBS京都のラジオカーのAD(アシスタントディレクター)という常勤アルバイトをやっていた。

 

 

ある意味、規則正しい生活だった。一日のルーティンはこんな感じだ。

朝早くにKBSに出社して、まずは「池田幾三のザ・トゥデイ」、ラジオカーのリポーターはミタヤンこと三田村明彦さん、ドライバーは平山さん。中継場所を決めて、地図を見ながら(もちろんカーナビなんぞない)京都・滋賀の街を走り、中継場所についたら、セッティングをして、電波チェックして(車の停め位置、10cm単位で電波状態が変わるナーバスなタスク)、リハーサルをして、前説をして(集まってくれたお客さんをほぐして、本番で拍手や笑顔を頂けるような空気を創る重要なタスク)、緊張の中継本番、イヤモニをしながらスタジオとのトークをチェックしつつ、次の段取りを考え、放送終了したら、後片付けしながら、集まってくれたファンの方々と短い交流をしてから、次の現場へ…お昼には本社に戻る。

午後は「山口進のCity NOW」、リポーターはあっちゃんこと竹澤厚子さん、ドライバーは同じ平山さん。小川珈琲に珈琲を取りに行って(集まってくれるリスナーに振る舞うのだ)、中継場所に行って…うんぬんかんぬん。

 

 

当時はラジオカーが中継場所に着くと、オープニングで告知しただけでも必ずリスナーが集まってくれていた。

「みたや~ん!」「あっちゃ~ん!」…リポーターはアイドルのような人気を誇っていた。スタッフである私も、すぐに“毎日頑張っているAD”として仲間に入れてもらえた。ラジオのパワー、そしてあったかさに驚いたものだ。

 

今思えば、ラジオカーリポートには広告代理店が行列を作って順番待ちしていたんだろう。ADながら、「今日は大きなお金が動いている…」と感じることが多かった。現場にスーツ姿の大人が多いのだ。たまに同行営業マンがいない時もあり、そんな時は大学生バイトだと舐められないようにドキドキしながら打合せをしていたことを思い出す。

 

ラジオカーの中の空間は3人だけ。スマホもない時代。道中の楽しみはおしゃべりしかない。他愛ない話、身の上話、そして中継がうまくいったときは和気藹々、しかし思い通りに行かなかったときは沈黙、そんな時に限って現場は遠く、無言のドライブは長く感じるものだ。

今日の反省を胸に明日はもっと頑張ろう…そんな日々だった。

 

 

また、大学生バイトの分際で、ディレクターさんやタレントさんに飲みに連れていってもらったり、麻雀したり、番組出演者・スタッフで泊りの宴会に行ったり…しっかりオトナ扱いして頂いた。

仕事が終われば、お腹もすくし、飲みに行きたくもなる時間。同じ身分のバイト仲間と京都の街に繰り出しては、はっちゃけていた。

だから、お金はまったく貯まらなかった。

 

 

こんな生活が丸一年続いた。

そして、メディアへの"憧れ"が"確信"に変わり、私は就職試験を受けることもなく、コネクションで大手テレビ番組制作会社に入社し、今につながっていった。

業界のイロハ、演出のイロハ、いや人生のイロハを学んだのかもしれない。

あの濃密な時間、今でも思い出すことがある。まさに青春…彩ってくれた全員の顔と名前は今もはっきりと覚えている。

こんな形ではあるが、関係者の皆さんに感謝を伝えたい。

 

だから!KBS京都のラジオカーがユーストンに来てくれたことが、すごく嬉しかったのだ。

私の人生をディレクションしてくれたラジオカー、これからも、いろんな人の夢を乗せて、京都・滋賀の街を走り続けてください!