KBSラジオカーAD時代「勇さん業界入り物語」(前半)  | 川本勇オフィシャルブログ

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KBS京都のラジオカーがユーストンにやって来た!

新映像スタジオの取材で生中継時間は約10分くらいだった。番組は朝帯の「ま~ぶる」木曜。
丁寧なリポート、ありがとうございました。

 


 

ユーストンの駐車場にラジオカーが停まってる。青いステーションワゴン、後部トランクには送出機材がぴっちり収まっている。

嬉しかった。そして、懐かしかった。この車に一年間乗ってたんだ…

 

 

私のメディアHISTORYのスタートはKBS京都ラジオカーだった。

この業界に入った経緯も含めて、思い出してみる。40年くらいも前の話なんだなぁ…。

 

人生の選択を決め兼ねていた私は、大学時代にとあるコネを利用して、超人気クイズ番組の収録を見学できる機会を頂いた。大阪・福島の朝日放送のスタジオ。面白半分、話のネタ半分だった。しかし、行ってみると初めて見るテレビ番組の裏側に、ワクワクドキドキ、なぜかタレントの姿よりスタッフの俊敏かつ無駄のない動きに驚き、後に憧れに変わっていった。テレビを創るってスゴイ!!!

 

この業界にどうしても入りたくなった。当時、人気職業ランキングで“テレビ・ディレクター”は常にベスト3に入っていた。そこで、怖いもの知らずの若き勇さんは何をしたかと言うと…

 

当時絶大なる人気を誇っていたKBS京都の人事部長宛てに長~い直筆の手紙を書いたのだ。

もちろん面識はない。「俺はこんな人間だ」、「こんな企画をやってみたい」、「KBSの深夜ラジオは毎晩聴いている」、「絶対にお役に立てる」、「バイトでいいので番組スタッフにしてほしい」…今から思うとなんと無謀で、世間知らずで、傲慢な手紙であったか…この手紙が残っていないことを切に願う。

 

身勝手な手紙を出した後、私はバンドの友人と以前から決めていた“大学卒業旅行”と称したヨーロッパ放浪の旅に、約一ヶ月間出かけた。長髪、髭、ギターケース…いわゆるバックパッカー。お金はない。泊りは友人の家、ロンドンの地下鉄やパリのポンピドー広場で歌って、「アジア人が頑張っとるわ」と思わせて、ギターケースに投げ銭を入れてもらって、その夜のビール代にしていた。ジュネーブ大学でライブもしたし、ベニスの広場では大観衆に囲まれた。友人の車でフランスの田舎を巡るあてのないドライブも楽しんだ…いろいろあんなこと、こんなこと思い出してきた!がっ!この話は、また後日書こう。趣旨がずれてしまうので。

 

 

帰国して、自宅に帰ると、一応「ムッチャ楽しかった~!人生のためになりました!行ってよかったわぁ~!」と母に報告した。この旅行の金銭援助を受けていたので…。すると、「なんか、KBSのお偉いさんから電話あったで。話があるって…アンタ、なんかしでかしたんか?」と言われ、あぁ、そうや、そう言えばダメ元で手紙書いてたわ!と我に返り、すぐにメモに書いてあるKBSに電話をした。

 

翌日、ヨーロッパ気分が抜けない私は、着の身着のまま、長髪・髭のままでKBS本社に行くと、人事部に通され、古野さんという人事部長に(今でも名前を忘れない、恩人だ)「手紙くれたね。読みました。ちょうど今、ラジオカーのADに欠員が出て、君、やってみるか?」と言われたのだ。驚きと喜びを飲み込んで、「ハイ、やります。」と返事をした。その後の条件や番組の説明はほぼ覚えていない。そして最後に「とにかく、すぐに来て、前任者と引継ぎをしてほしい、よろしく頼みます。」

 

諸々のタイミングもあったと推測するが、熱い想いを受け止めてくれるオトナっているんだ。文字にして、手紙にして良かった。人生に迷い、悶々としていた放蕩生活に別れを告げて、KBS京都新社屋に平日毎日通うことになった私は、髪の毛を切った。ただ、髭は剃らなかった。ロックな精神をどこかに残しておきたかったのだろう。

 

こうして、私の人生を左右する“KBSラジオカーAD時代”が始まった。
(後半へ続く…)