前回、実親の言葉に愛されてないと感じて

あきらめている、というようなことを書いた。

でも、なんだかしっくりこなくて

じゃあ、私は息子たちとわかりあえてる?

同居する義父母とわかりあえてる?など

いろいろ考えていた。

 

私だって、息子たちが傷つくようなことを

言ってしまったことはたくさんあるだろう。

義父母に言われたことにムカついたり

私の言葉に義父母が怒ったこともあったと思う。

もちろん、夫婦だって。

食い違ったり、すれ違ったりしてきた。

 

でも、そのたびにお互いが言う。

そんな言い方ないでしょう?って。

私は傷ついたよって。

こういう言い方で伝えてくれたらよかったのにって。

 

傷ついても、傷つけられても

お互いの思いを伝えあえれば、

相手の真意が見えて大抵のことは許しあえる。

許しあいを重ねていけば、相手が嫌がる言動もわかって

互いに「地雷」を踏まなくなってもくる。

 

私は家族の話を聞こうとしてきたし

家族も私の話をちゃんと受け止めてくれたから

今の家族の形がある。

 

私の子ども時代には、なかったのだ。

私の話を聞こうとしてくれる親が。

私の気持ちを汲み取ろうとする大人が。

親は子の気持ちを汲む子育てを心掛けなかったし

私もまた、受け止める気がない親に

自分の気持ちを伝えることをとっくの昔に投げ出していた。

 

愛されていない、なんていうのは子供じみた戯言で

両親なりに私に愛情をもっていることは、わかってる。

私があきらめているのは、わかりあうことなんだろうな。

普通の親子が子育ての20年をかけて許しあいながら

わかりあっていく時間を持てなかったんだもの。

今さらどうにもならないけど、やっぱり少し哀しい。

 

両親との関係が、少し哀しいと思えるのは

わかりあえる家族がいるからでもあって

今、一緒に過ごす家族とわかりあえるなら

それでまあいいかと思って、生きていくことにする。