祖父と私とサンドイッチ | 和文化案内『ゆかしき堂』のブログ

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今朝はサンドイッチを食べました。

なんということはない食べ物ですが、私の中には思い出がある食べ物なのです。


以前、祖父が手術のために入院しました。

胃を半分ほど切除したのですね。

手術は無事に終え、術後の経過も順調で、現在も元気にしています。

仕事後にお見舞いなどに行っていたのですが、私が病院へ行くときは、祖父はいつもサンドイッチを用意してくれていました。

それを私は病室で食べるか、持って帰るかという感じです。


どうしてサンドイッチなのか。

これには思い出があって。

私は昔、喘息などでよく入院する機会がありました。 

その時に、見舞いに来てくれた祖父に、私は売店でサンドイッチを買ってもらうことが良くありました。

病院で出される食事はお世辞にもおいしいとはいえない代物で、小遣いも満足に無い私でしたから、祖父が買ってくれるサンドイッチをすごくおいしく感じたおぼえがあります。

それは表情にも出ていたはずで、幸せそうにサンドイッチを食べる私を祖父はおぼえているのでしょう。


そうしたことがあって、祖父は私のためにサンドイッチを買ってくれているのです。

正直なところ、いまの私にはそんなに嬉しくはないものです。

家に帰れば食事もありますから、もらっても困るものではあるのです。

それでも、私は必ずもらって帰るようにしています。

「お前はむかしからこれが好きだったから」

……と嬉しそうに用意してくれている祖父の顔がみれることが、私には嬉しいのです。

まだ満足に動かない体で、離れた場所にある売店までサンドイッチを買いに行ってくれている祖父のことを思うと。

そして、それは孫である私のための行為なのですから。

それを有り難く思わなくて、どうします。

そういうわけで、背広姿でサンドイッチを片手にぶらさげて、病室からの帰り道を感慨深い思いで歩くわけです。


人生の残り時間を考えていけば、月に一回ぐらいしか会えない祖父とは、平均寿命まで生きてくれるとして、あと60回ぐらいしかありません。

会える時間と思い出とを大事にしながら、日々を過ごしていきたいものですね。






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