トキワ荘まんがミュージアム …赤塚不二夫追記しました | さくらゆかりのマイページ

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すっかりオバさんの女装子ですが、お付き合いくださいね

みなさま、こんにちわ飛び出すハート 

さくらゆかりです。

 

今回は…

開園してから、ずっと行きたいと思っていた、豊島区立の

 

トキワ荘まんがミュージアムメモ

を訪ねてきましたので、その様子をお伝えします

 

 

トキワ荘への最寄り駅は、西武池袋線の椎名町、都営大江戸線の落合南長崎駅が近いですランニング

 

 

 

ときわ荘のある場所は、トキワ荘公園という、こどもの遊び場もある公園になっています

 

 

ダイヤオレンジ公園には、こんな記念碑もありますダイヤオレンジ

 

 

いよいよここが、トキワ荘です

 

 

トキワ荘には電話が無かったため、目の前にある電話ボックスを使用していたとのことで

電話ボックスが再現されてますダウン ダウン ダウン 

 

 

定期的に企画展を開催していて、この日は

「石ノ森章太郎と赤塚不二夫展」を開催していました

ちなみに、企画展を実施している時は入館料があり、今回は500円でした

 

 

漫画家たちの暮らしを再現しているのは、アパートの2階

著明な漫画家たちが集結していたのは、昭和20年~30年代です

 

 

共同炊事場びっくりマーク

赤塚不二夫が流しに横になって、水浴びをしたという伝説が紹介されてます笑

 

 

 

 

食事時の料理やお椀などが、そのまま再現されてる!

 

 

トキワ荘で、漫画家たちが住んでいたお部屋の、部屋割りです

この小さいアパートに すごいことですねにっこり

 

 

トキワ荘を、かいつまんで解説すると…

トキワ荘は昭和27年に建てられたアパートで、あった場所はここではなく、近くの椎名町5丁目にありました。当時あった雑誌「漫画少年」を発行していた学童社が、漫画家たちにこのアパートを斡旋したのがきっかけで、多くの漫画家が入居するようになり、第1号は「手塚治虫」で、完成の翌年に入りました。

続いて寺田ヒロオが入居し、その後 藤子・F・不二雄が入り、有望な漫画家たちが部屋が開くたびに来るようになりました

 

ここで、手塚治虫をはじめとするマンガ家の巨匠たちが、青春の日々をすごし、のちに有名な作品を生み出す元となりました。マンガの聖地と言われるゆえんです

 

面白い事に、漫画家たちの住んでいた部屋は2階で、1階は普通の方が住んでいたそうですうさぎ

 

 

ワタシは、昔の漫画家は全部はわからないのですが、そうそうたる顔ぶれです

 

おおもとのトキワ荘は、残念ながら昭和57年、老朽化のため解体されてしまったのですが

マンガの聖地を復活させよう! という周囲の声が熱く、2020年7月7日に、元あった場所に近い現在地に、区立のミュージアムとして再現されました。

 

再現にあたっては、ただ建物を作るのではなく、ふすまの絵を書き下ろしたり、木の床のミシミシいう音まで再現するなど、細かいところまで忠実に再現して作られた、ということです
 

 

それでは、アパートのお部屋のいくつかを紹介しましょう

 

14号室

最初に手塚治虫が入り、転居後に藤子不二雄Aが入ったお部屋です

 

 

 

 

 

この部屋には、マンガ講座のような解説が、室内にありました

 

 

 

 

 

 

 

18号室

山内ジョージ

 

 

 

 

 

 

 

 

20号室

鈴木伸一 森安なおや よこたとくお の入っていた部屋です

(入居~退去順)

 

 

 

 

 

ちなみに、窓からの景色、実際の窓でなくそれ風のセットが造られています

 

 

 

 

 

 

 

 

5月のカレンダーだけど う~ん いつの年のだろう

 

 

 

 

 

 

22号室

寺田ヒロオ

 

 

 

 

 

 

 

 

19号室

水野英子

トキワ荘ミュージアム唯一の女子部屋

昭和30年代は、まだまだ男女の境界は低かったのですね~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16号室

赤塚不二夫

 

 

ギャク漫画を描くきっかけだったのも、ここで石ノ森章太郎と知り合ったことからでした

 

 

赤塚不二夫、最初のヒット作と呼ばれている作品

 

 

 

 

P.S 1月26日(金)NHKの「アナザー・ストーリー」

 

放送されました。みなさんご覧になりましたか~

 

次回の記事も掲載後の追記で、読むひともいないかもしれませんが、番組から

いっぱい感じる所がありました。すこしお話しします

 

赤塚不二夫先生が、満州生まれで日本に帰国したという経歴は、あちこち紹介

されていましたので知っていましたが

 

終戦後中国人に反感をもたれ、虐げられたことや、日本に帰るまで10カ月の逃避行を

すごし、幼い妹を亡くしたことなど、悲惨な生活だったことが紹介されていました

 

 

 

帰国後も一家の生活が苦しく、ふたたび妹を無くしてしまい壮絶な人生だったことに

胸を打たれました

 

しかし、そこから、悲劇の絶頂を味わったからこそ、そんな歴史を繰り返しちゃいかん!

という気持ちが、喜劇を生み出す原点になったんじゃないか… という

元編集者の言葉を聞き、その奥深さに胸を打たれました

 

ギャグマンガ家として成功を収めた後も、ギャグを極める事に人生の全てを注ぎました

「僕は誰の真似もしてこなかった」

そのことば、私も大好きな言葉です

 

ちばてつや、北見けんいち、坂田アキラ、タモリ、山下健一…

無数の芸能人、芸術家が赤塚不二夫のもとに集まり

ジャンルも老若男女も関係なく、人とひとの垣根を越えた交流を作った赤塚不二夫は

 

人との垣根を作る事ばかりが進んでしまった現代

利口は利口で、バカは馬鹿としか言わない現代

の社会に、おおきな説教をしている漫画家だと思います

 

もっとこの言葉をみなが受け入れられる世の中になったら…

 

わたしはそういう世界が来てくれたらな、と思いますニコニコニコニコ

 

 

 

 

 

赤塚不二夫先生に

あらためて、ご冥福をお祈りいたします

 

お願い お願い お願い  お願い お願い

 

 

 

15号室

藤子・F・不二雄B

 


 

 

 

 

壁に大きな漫画が描かれていますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念メダルの販売機があったので

 

 

1個購入してきましたよーニコ

 

 

2階の一部屋は常設展示室になっています。

当時のこの辺りの街の様子が、過去の写真で紹介されています

 

 

 

 

 

アパートにつながっているミュージアムにはマンガラウンジというコーナーがあります

トキワ荘ゆかりの漫画家の作品が壁一面に展示されています

 

 

企画展の入り口には、赤塚不二夫と石ノ森章太郎が描いた

トキワ荘を舞台にした漫画が紹介されてました爆笑

 

 

ここから先が、企画展の会場なのですが、こちらは場内全て写真禁止びっくりマーク

なので、お見せはできないのですが、ふたりの漫画家としての一生や、トキワ荘時代のエピソードなどがたくさん! 紹介されていました

 

 

すごい!と思ったのは石ノ森章太郎

若い頃、なんと個⼈の海外旅⾏が許されていなかった1961年、弱冠23歳で世界一周旅行をしたのですね!? 初めて降りたった海外がアメリカ(ホノルル)で、そこから70⽇間の世界旅⾏をしたというのだから、驚きです!?

 

 

17号室

石ノ森章太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

同じ時間帯に訪れていた若い来館者の方が、熱心にアパートの部屋を覗き込んでいました。きっと漫画の大好きな方なんだ と思いました。ルンルン

この日は空いていたのですけど、スタッフさんとお話したら、土日はとても混むんだそうです

(来館は原則事前ネット予約です)

団体さんも来ることがあり、今でもとっても人気の場所なんだな、ということを感じましたニコ

 

 

晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ

 

それでは皆さん、明日も皆さまにとって良い日でありますように~