現役医師&起業家の
瀬戸ゆかりですダイヤモンド

 

はじめましての方が増えてきたので、

改めて自己紹介させて頂ければと思います飛び出すハート

 

 

この自己紹介では

 

子どもの頃から頑張る!がデフォルトで、
苦労して「家族」も「肩書」も「年収」も
全て手に入れたのに

 

「なんか全然幸せじゃない!」
「幸せなハズなのにツラい!」
と悩んでいた私が

 

「すべては自分次第で人生思い通りになる!」
と思考を変えたことで、

 

安定を手放したフリーランスかつ
シングルマザーなのに、

 

自分なりの幸せを手に入れて、人生謳歌して
楽しくラクに生きられるようになった
人生大逆転ストーリーを
書いていこうと思います。

 

私の簡単なプロフィールですが、

医師であり、起業家であり、
可愛い3歳の娘がいるシングルマザーです。

 

(3歳まで元気にすくすく育ってくれてありがとう)

 

もう少し詳しいプロフィールを紹介すると、

 

・医師の勤務は、都心のキレイな病院で週2-3回のみ
・医師に加えてオンライン自宅起業もし、
起業2ヶ月で10万円のコンテンツが売れる
・現在はオンラインで10-40万円のサービスを
ご提供したり、リッツカールトンでご馳走に
なりながら楽しくセッションをするのがお仕事
・港区の、娘との2人暮らしには広すぎる
2SLDKの高級マンションに住む
・娘のインターナショナルスクールや
シッターさんに月30万円使う
・シッターさん2名&一時保育4ヶ所に
頼りまくりながら楽しく育児
・数ヶ月おきに子連れ旅行に行き、紅葉の京都や
娘とテーマパークなどのレジャーを楽しむ
・平日昼間に動けるので、美食や観劇、
旅行を空いている時間に楽しめる
・同じく平日昼間から遊べる、
本音全開で語れる最高の親友がいる
・毎週のバレエのレッスンで
出産前と同じBMI19の体型をキープ
・アートメイクやファッションにお金をかけ、
若い!細い!可愛い!と言われる美ママ
・Twitter12.8万いいね、ブログ59000PV、
登録者600名越えのClubhouse番組を
半年間運営などの発信力
・SNSを通して誰もが名を知る芸能人や、億を稼ぐ
経営者、ベストセラー作家の方々と人脈ができる

・本業も副業も子育ても趣味も
何一つ諦めず、自己実現を叶え続けて
楽しく生きる奇跡のシングルマザー!

 

​​こんなところです。​

(娘との大阪旅行!リッツカールトンのホスピタリティは
いつ訪れても感動です)

 

(平日昼間に漢服コスプレを楽しめる最高の友人たち。
全員ママです!@横浜中華街)

 

自分でも、この状況は
「夢みたいだな」と思うことがあります。

 

つい数年前の私は、
不幸のどん底にいたからです。

離婚、育児ノイローゼ、育休の収入ゼロで
自己肯定感が地の底まで落ち、
いっそ娘と一緒に死んでしまいたいと
思うほどに追い詰められていました。

 

未来に全く希望が持てず、
文字通り、本当に毎日泣いていたんです。

 

そんな私が、都内の一等地に暮らし、
憧れの「好きな場所でパソコン1つで稼ぐ」
というスキルを手に入れて

 

仕事も子育ても自己実現も
悠々自適に楽しく両立しているのですから
自分で振り返っても本当に奇跡だなと
思っています。

 

 

・結婚もして家族もいて
キャリアもあるのに「なんか」幸せじゃない!
・仕事・家事・育児で自分の時間がない!
・育休で女性だけがキャリアを
犠牲にするなんて納得できない!
・一生懸命頑張ってるのに報われない!
・パートナーがわかってくれない!
・私の人生、こんなハズじゃなかった!!!

かつての私のように、こんな悩みで
苦しんでいる女性たちに
少しでも私の経験がお役に立てばと思い、
この文章を書くことにしました。


ここからは、具体的にどのような経過で
不幸のどん底から立ち上がり、
自分なりの幸せを手に入れたのかを、
私の経歴と合わせて書いていこうと思います。

では、ここからは私の物語。
少し長いですが、ちょっとした小説気分ででも
お読み頂けるとうれしいです。

 

最後には、人生激変のヒントになる
プレゼントのご案内もありますので、
是非チェックしてみて下さいね!

 

(起業家としてのお仕事中
@リッツ・カールトン東京、スイートルーム)

 

超優等生として「頑張る」がデフォルトになった子ども時代


三姉妹の長女として生まれた私は、小さい頃から
「しっかり者だね」と言われて育ちました。

 

母が子ども3人を連れて出かける時、
手をつなげるのは妹2人。

 

私は1人で母と妹たちの後ろをついていき
「えらいね」「しっかりしてるね」
と褒められていました。

 

幼心に「長女だからしっかりしなければ」と
思うようになっていきました。

小学生の頃は、学級委員になるのが当たり前。
部活も当然、部長を務めました。

 

勉強も得意で、夏休みの宿題の算数ドリルは
1日で全て終わらせるような子どもでした。

中学受験に向けて塾通いが始まると、
小学校、塾、習い事の両立が始まります。

 

小学生にしてはかなり忙しい生活でしたが、
勉強の手は抜かず、全国テストで5位になり
名前が掲載されたこともありました。

 

難なく受験をクリアし、日本中で誰もが
名を知る名門校に複数合格します。

私は勉強が好きなタイプだったのですが
妹たちはそうではありませんでした。

 

妹たちの成績も、一般的にはかなり上位では
あったのですが、超一流とまでは
いきませんでした。

それを許さなかったのが教育熱心な母です。
「もっと頑張りなさい」
「お姉ちゃんより成績が悪い」などと叱られ、
病んでいく妹たちを見るうちに、

「あぁ、ずっと頑張らないといけないんだ」
「勉強ができないこと、努力しないことは
悪いことなんだ」
と自然と思うようになっていきました。

親の期待に応え続け、自分のやりたいことがわからなかった学生時代

中学生の私は、ますます頑張りやさんに
磨きがかかります。

 

名門校でもトップクラスの成績を維持し、
週2回の部活動、週3-4回のバレエという
超多忙なスケジュールをこなしていました。

周囲が大学受験モードになっていた
高校2年生の時、学校の成績が急降下。
先生から初めて呼び出されます。

「これじゃダメだ!」と一念発起し、
大学受験に本腰を入れることに。

ん?でも待てよ。
なんのために勉強するの?
どこの大学に行くの?

その時初めて、行きたいと思う大学も、
なりたいと思う職業もないことに
気づいたのです。

17歳なんてそんなものかもしれませんが、
「自分の人生で何がしたいのかわからない」
というのは結構な衝撃でした。

周囲が目標に向かっている中、
何も目標がないことにものすごく焦りました。

しかし、ここで頑張らないわけにはいきません。

理系、文系の希望もなく「つぶしが効くから」
という理由で理系を選択。

その後も明確な目標は見つからないままでしたが、
志望校や学部を選ばなければなりません。

「勉強ができるのはいいこと」
「良い大学に入って良い会社に就職するのが幸せ」
「女性も仕事を持ち経済的に自立しなさい」
「あなたは勉強ができるから大学院に行きなさい」

などと子どもの頃から言われ続けていた私は
ぼんやりと医師になることを考え始めます。

医師になりたい強い想いが
あったわけではないのですが

「お金がない」「とにかく仕事に就きなさい」
という母の口癖の影響もあったのか、
稼げる職業に直結する医学部を選びました。

急降下していた成績も1年間の猛勉強で見事に
回復し、現役合格することができました。

もちろん医学部でも勉学に励み、国家試験に
合格して晴れて医師となりました。

私の幼少期~学生時代は、とにかく親や先生の
期待に応え続ける人生で、絵に描いたような
優等生だったなと思います。

しかし、自分のやりたいことはよくわからないまま、
社会人になってしまいました。

 

キャリア・結婚・出産で「幸せの条件」は全て手に入れた!と思っていた20代


医師の世界は想像以上に過酷でした。

・週6-7回勤務、14連勤のスケジュールは
当たり前の体力勝負
・当直で徹夜した翌日も通常通りに働く
超ブラック労働
・「専門医資格を取るまで妊娠するな」
というパワハラ、マタハラ

など、医師の閉鎖的な世界では、
世間ではではあり得ないような常識が
まかり通っていました。

そんな環境でも「頑張る」がデフォルトの
私は、必死に研修医として研鑽を積み、
「専門医取るぞ!」
「キャリアと家庭を両立するぞ!」
とがむしゃらに働き続けました。


同じく医師の夫とは、そんな多忙な時期に
交際がスタート。
なぜか「20代のうちに結婚するのが勝ち組!」
と思い込んでいた私は、20代後半で結婚。

キャリアを積んで専門医資格も取り、
その後、待望の娘が誕生しました。


就職、結婚、出産。

「これが万人に当てはまる女性の幸せな生き方です」
と言わんばかりのシナリオを、
私は何も考えずに歩んでいました。

子どもも授かり、私の人生ますます幸せ一直線!!!

当時の私は、心の底からそう信じていました。

収入ゼロの無価値感と育児ノイローゼで辛かった育休時代

出産前の私は、勉強も、仕事も、趣味も、
持ち前の根性とストイックさで、自分が
望んだ結果以上のものを出してきました。

恋愛も、いわゆるハイスペックの男性と
結婚することができました。

これまでの人生、大きな挫折や失敗を
経験することがなかったのです。

そんな私が母になってぶち当たった壁は
「育休で収入ゼロの自分を認められない」
という無価値感でした。

子どもの頃から頑張り続け、
社会人でもバリバリ働き続けていたので
「24時間引きこもり家事育児生活」
「収入ゼロの自分」
になった自分を受け入れられませんでした。

育児という尊い仕事をしているのに、
「収入がない」「生産性がない」
「意味のあることをできていない」と感じ

自己肯定感や自己効力感が
なくなってしまったのです。

その育児に関しても、
「勉強して」「努力して」「頑張れば」
子どもをきちんと育てられるし
いいママになれると思っていました。

しかし、相手は赤ちゃん。未知の生き物です。

試験勉強のように、準備すればうまくいく、
そんな類のものではありません。

赤ちゃんとの生活は、1秒先も予想が
つかない、いつ眠れるのかもわからない、
生きていくだけで精一杯の毎日でした。

娘が産まれてからの半年間は、
新型コロナウイルスで世界が一気に変わった
ことも重なり、先の見えない辛い日々でした。

・慣れない育児に夫婦ともイライラが増え、
夫婦関係も悪くなる
・緊急事態宣言で児童館も閉鎖になり、
一歩も外に出られず、赤ちゃんとの
引きこもり生活で不安・ストレスが溜まる
・夫の突然の異動が決定。
乳児を連れてまさかの家探し&引越し

この状況下で、私がうつ状態に追い詰められるまで
そう時間はかかりませんでした。

完全に育児ノイローゼになってしまったのです。

育児でも「頑張る」がデフォルトだったため、
自分を犠牲にして必死に育児をしていました。

なかなか昼寝してくれない赤ちゃんを
おんぶで寝かしつけながら、
お昼ご飯を立ち食いすることもありました。

そんな状況で思わず妹に電話をして
「可愛い子どもがいるのに、なんか今の状況って
全然幸せじゃない。こんなの望んでなかった」
と伝えるほどに病んでいました。

そして、ある夏の暑い日のこと。
その日は娘の予防接種がありました。

おむつや着替えや母子手帳など必要なものを
準備して、予約に遅れないように、慌てて
ベビーカーを押しながら炎天下を歩いていました。

ただ予防接種に連れて行く、それだけのことが、
育児ノイローゼの私には
ものすごく大きなハードルでした。

小児科では、3人の子どもを連れたママが余裕の
表情で末っ子赤ちゃんの予防接種に来ていました。

子連れランチの帰りでしょうか、
共に2人ずつ子どもを連れたママが
談笑する姿も目にしました。

​そんなママたちを見て
「どうして周りのママは楽しそうに子育て
してるのには私はこんなに辛いんだろう!」
「みんな2人や3人の子を育てているのに、
1人すらきちんと育てられなくてごめんね」
「こんなママでごめんね」

と自分を責める気持ちが止まらなくなり、
予防接種の帰りに嗚咽をあげて号泣しました。


育児だけでこんなに大変なのに、
仕事復帰なんてできっこない!
これからの未来に、なんの希望もない!

と本気で思い、毎日毎日泣いていました。

そんな極限状態の中、夫が隠れて
1年以上喫煙していたことが判明します。

ここから、私の人生は急展開。
最悪の暗黒期が始まりました。​

私は「完璧な幸せ」にとらわれた不幸な人だった


私がタバコ大嫌いなことを知っているのに!
よりによって、私が妊娠してる時に、
赤ちゃんがいる時に吸うなんて最低!

私が必死に育児をしている中のこの事件は、
到底許せないものでした。

私たちの結婚生活は、今思うと
「パートナー」ではなく「同居人」に
近かったなと思います。

自分のやりたいこともわからず、
結婚もなんとなく20代のうちにという理由で
決めてしまったので、

こんな夫婦関係でありたいとか、
こんな家族でありたいという理想を
考えることなく結婚生活を送っていました。

夫も同じようなタイプで、結婚してからというもの
パートナーシップを育むなんてことは全く
できておらず、仲の良い同居人のような存在でした。

当然、コミュニケーションは不十分です。
​小さな不満は我慢して飲み込んでいました。

しかし、この喫煙には夫への不満が大爆発。
どうして喫煙したのか、
どうして私ばかり家事育児をしているのか、
そんなことを話し合いました。

すると、突然夫が「離婚したい」と切り出しました。

・・・はい?
私にとっては意味がわかりません。

自分が隠れて喫煙しておいて、
自分だけキャリアを続けておいて、
私に家事育児の負担が偏っていて、
離婚したいだなんてよく言えるよね!!!
と怒りは頂点に。

即離婚でもおかしくないくらい、
夫婦関係としては最悪の状態でした。

しかし、私たちには可愛い娘がいます。
この子の両親は、私たちしかいないのです。

「あと半年、娘が1歳になるまでお互い努力
してみて、それでもダメなら離婚だね」
という結論に至りました。

娘のためには、夫婦関係を改善したい。
でも、その方法がわからない。

ここまで関係が拗れて、お互いに敵意しかない
今の状況から、どうやってやり直すの?

可愛いはずの娘の育児もノイローゼに
なってしまったし、

「幸せな家族」になんてなれない!
私は幸せになんてなれない!
誰か助けて!!!

と、もがき苦しむ日々が始まりました。

苦しみながらも、ここまで夫婦関係が悪化した
原因はなんだろう?と冷静に振り返ってみると、

「私はずっと、自分の幸せのために、
夫に完璧を求めていたのかもしれない」
という驚愕の事実に突き当たったのです。

仕事のこと、お金のこと、家事のこと、
常に粗探しをし、減点方式でしか
見ていませんでした。

私がほしいのは「完璧な幸せ」。

そのために、あなたももっと努力して
完璧な夫になってよ・・・!

私からは常にこのようなメッセージが
発せられていました。


家族がいて、自分にも誇れる仕事があって、
新築のキレイなマンションに住んでいて。

十分幸せそうなのに、
人から憧れられそうな生活なのに、
たくさんのものが「ある」状態なのに、

私は「完璧な幸せ」を追求して、
あれがない!これもない!と
「ないもの」ばかりに気をとられていました。

十分幸せなのに、その幸せを感じられない、
とても不幸な人間だったのです…!!!

この事実に気づいたとき、もうひとつ、
恐ろしい未来が見えてしまいました。

私はこのままだと、可愛くて可愛くて仕方ない
娘にも完璧な幸せを追い求めさせ、
結果、不幸にしてしまう…!

胸をえぐられる思いでした。

この衝撃の気づきに至り、私は娘を
抱きしめながら、涙が止まりませんでした。

私、変わらなきゃ!!!
この子のために変わりたい!!!
と心の底から思いました。

私はこのままでは娘を不幸にしてしまう・・・
このままでは離婚になってしまう・・・
可愛い娘から、両親と一緒に暮らす
未来を奪ってしまう・・・

私の精神状態はボロボロでした。

不安、絶望、焦り、自分責め。

とにかく負の感情でいっぱいになり、
家の外でも中でも涙があふれるようになり、
ついにはメンタルが崩壊。

家事育児をできる状況ではなくなり、
娘を連れて、実家に戻ることにしました。​

自分を見つめ直す修行生活と自己啓発との出会い


自分が不幸な人間だったと気づいた日は
衝撃のあまり眠れませんでした。

夜中の3時に目が覚めて、そこから頭の中で
激しい自分責めと自己嫌悪がスタート。

これまで自信満々に30年以上生きてきて、
自己肯定感も高かった自分が、一転して
自己否定のかたまりになったのです。

エリート街道を歩んできた私の、
人生で最大・最悪の挫折。

とにかく、自分のことが嫌で嫌で仕方がない。
自分を変えたくて仕方がない。

「愛する我が子を幸せにしたい」
というモチベーションは壮絶なもので、

子育て本を読んだり、心理学の本を読んだり、
パートナーシップを学ぶオンライングループに
参加したり、夫婦カウンセラーに相談したり、

持ち前の勉強熱心さを発揮して、
ひたすら自分を見つめ直すようになりました。

そうして本やオンラインで学ぶ中で、
仕事もパートナーシップも充実している、
思わず「こんな人いるんだ!」と声を
あげたくなるような女性たちに出会いました。

心の中で勝手に師匠と呼び、
メンターにしていました。

その中の1人が、小田桐あさぎさんです。

 

「『私、ちゃんとしなきゃ』から卒業する本」という

ベストセラーになった著書では、


仕事も家事も育児もパートナーシップも
あれもこれも!と頑張りすぎて苦しんでいる
女性に救いの手を差し伸べ、

 

「魅力覚醒講座」という講座では、
そんな苦しみから卒業し、自分らしく
魅力的に生きられる方法を伝えています。

 

(ドバイ在住の年商3億円起業家で2児のママ。何者!?)

 

魅力を覚醒させる講座?
理想を叶え、幸せになる方法を教える講座?

 

なんだかうさんくさい!
と思う人もいるでしょう。
私もそう思いました。

しかし、離婚危機・収入ゼロ・育児ノイローゼ
の三重苦だった私は、

 

自分の人生を変えたい!
自分を幸せにし、娘も幸せにしたい!
と思い、清水の舞台から飛び降りる
覚悟で講座に飛び込みました。

 

これが、初めての自己投資、
自己啓発との出会いでした。

あさぎさんの講座で学んだことを
一言であらわすなら

 

【自分の人生を作るのは、自分の夢を
叶えるのは、自分自身】ということ。


あさぎさんや、自己実現を叶えている
方々の考えにふれるうちに、
彼女たちと私との決定的な違いがわかりました。

それは
【自分の理想の人生が明確になっていない】
ということです。

自分を深く知り、自分の叶えたい未来を明確に
描き、それに向かって行動している彼女たち。

大学受験のときにも薄々感じましたが、
「私は、何をしたいの?」
「私の幸せって何?」
「どんなふうに生きたいの?」

 

こういった問いに、私は明確な答えを
持っていませんでした。

 

私って、仕事や結婚や出産や、そうした
「外側」の幸せばかりを追い求めていて、
全然自分のことを知ろうとしなかったんだな…

そう気づいてとても虚しくなりました。

 

なんとか自分の幸せを掴みたくて
飛び込んだ講座ですが、

 

「自分次第で、理想の人生は叶えられる!」
と突然言われても、なかなか直ぐには
信じられませんでした。

でも、やってみないことには始まりません。

 

「人生は自分次第でどうにでも変わる」
「パートナーシップもまずは自分から」
と教わり、夫とのコミュニケーションの
取り方を意識して変えていきました。

 

まずは、徹底的に話を聞く。
どんな意見も受け止める。

 

そうして向き合った結果、夫との関係が
どんどん好転していったのです!

そして、私が夫を見る目線も
だんだんと変わっていきました。

仕事に励んでいたのは、育休中の私の分まで
家計を支えようとしてくれたからだよね。
なかなか家事育児ができなくて当然だよね。

そんなふうに、これまでとは180度違う
考え方もできるようになりました。

「夫がどんな人間なのか」ではなく、
「夫がどんな人間なのかを『私が』どう
受け止めるのか」という捉え方次第で
関係性は変わるのだと体感していきました。

 

大どんでん返しからの離婚、さらなる暗闇の中へ

実家でなんとかメンタルを立て直しながら、
講座の学びを信じて実践しながら、
夫と話し合いを重ね、半年間必死に向き合いました。

その結果、
壊れきっていたかに思えた夫婦関係でしたが、
再び家族3人で同居しよう、やり直そう、
という結論にたどり着くことができたのです!

このときの安堵感は、
一生忘れることはないでしょう。

 

よかった、本当によかった!
家族3人で、ここから新しく幸せな
生活を作っていけるんだ!

 

私の心は希望に満ちあふれていました。

きっと大丈夫。夫となら大丈夫。
この離婚危機を乗り越えた私たちなら大丈夫。

 

家族3人で笑顔あふれる生活ができると
信じて疑っていませんでした。


しかし。

ここで予想だにしなかった出来事が
起こります。


夫の裏切りが発覚したのです。


不幸のどん底から這い上がり、
やっとやっと希望が見えたその瞬間、
今までとは比べ物にならないほどの闇の中に、
再び突き落とされたような気分でした。


え、、、やっぱり、離婚する?
それとも夫を信じてやり直す?

離婚したら、シングルマザーになるんだよね?
娘はお父さんと一緒に暮らせないんだよね?

やり直した方がいいの?
でもまた裏切られたらどうするの?

青天の霹靂の出来事に、どうしたらいいのか
わからなくなり、食べ物は喉を通らず、まったく
眠れず、体重はみるみる3kgも減っていきました。

1週間ほど悩み、落ち込んでいましたが、
それまで徹底的にパートナーシップに
向き合ってきた私の決断は早かったです。

 

離婚をすることにしました。

夫は私に対して一切の謝罪がなく、
娘に対しても、愛情や会いたいという想いもなく
「養育費だけは払う」というスタンスでした。

娘に対して愛情のない人と一緒にいて、
娘にとってプラスになるはずがない。


私が娘にありったけの愛情を注いで
育てていけばいい、そう思いました。

もちろん、ひとり親になることのデメリットは
何度も何度も考えたし、娘が大きくなって
どう思うか想像すると、とても怖かったです。

しかし
「つらい事実だけど、ゆかりと娘ちゃんの
今後の人生に、夫はもういらないと思う」
という妹の言葉に、全てが集約されていました。

愛情のない、私たちを大切に思う気持ちのない
人間は、私たちの未来にはいない方がよい。
むしろ、いない方が幸せだ。

 

そう確信し、私は離婚を決めました。

育休からの復職が目前に迫っている中での
出来事で、とても復職なんてできる
精神状態ではないと思いましたが、

 

離婚を決意した翌朝は
不思議と頭がスッキリしていて

「よし、働こう。
このまま私の復職まで奪われてなるものか」
と力強い思いが湧き上がってきました。

 

SNSが教えてくれた、発信者の世界

予定通り、私は復職を果たしました。
ブランクは医師としての感覚を多少鈍らせては
いたものの、すぐに以前とは変わらない
パフォーマンスを取り戻しました。

順調に仕事に復帰し、育児は母や妹の助けを借り、
離婚協議も始まりました。

娘は保育園に通い始め、24時間つきっきりの
生活ではなくなり、育児ノイローゼも
徐々に回復していきました。

しかし、自分の時間はほとんどなく、久しぶりの
仕事も気分転換になるかと思いきや、時短勤務の
私に任せられる仕事はつまらないものばかり。

そんな現実にフラストレーションを感じていた
ある日、仕事・子育て・離婚協議の両立について
ふとTwitterでつぶやくと、あれよあれよと激バズ!

なんと、12.8万いいね、7100リツイートを
記録しました。

これまでSNSを「見る側」としては
使っていましたが「発信する側」としての
経験はほとんどなく、
初めての激バズに恐怖を感じました。

 

Twitterの性質上、アンチコメントや批判コメントも

数多く来てしまい、大きなショックを受けました。

しかし、SNS上でメンターとして慕っていた方々も、

ご自身の人生を発信されていたことに気づきます。

・月収18万円の貧乏生活から一念発起して
起業し、稼げるようになったこと
・出産や育休でキャリアを中断せざるを得ず
ワークライフバランスに悩み苦しんだこと
・会社を辞め、フリーランスとして
新たな生活を歩みだしたこと

どれもすべて、唯一無二の経験です。

自分の人生や思考を発信すると、
それに共感する人が集まってきます。
慕ってフォローする人が出てきます。


オンラインにそんな世界があるのだなと知り、
発信者になったら、私も彼女たちのように
なれるのかなと考えるようになりました。

Twitterの炎上は丸2日間続き、スマホには
昼も夜も通知が鳴りやみませんでした。

しかし、それが落ち着くころには
発信に対する恐怖はほとんど消えていて、
私も発信しようと静かな決意が固まりました。

SNSを通して、あさぎさんをはじめ、
人生を変える学びや講座にも出会えましたし、

離婚で苦しんでいたときには、
同じ離婚経験者の方のブログに
どれだけ勇気をもらったかわかりません。

私も、私の経験を発信していきたい!
私の人生を、思考を、私という人間を
発信していきたい!

そして、誰かに希望や勇気を与えたい。

 

おこがましいけれど、そんな風にも思いました。

そこから、Twitter、note、ブログ、
facebook、インスタを見様見真似で始めると、

ブログは最高59000PVを記録し、Twitterで
何度も熱烈な応援コメントをくれる方が現れ、
そしてnoteの記事にサポート(投げ銭)を
して下さる方々も現れました!

そんな中、日本にClubhouseの波が訪れます。
離婚歴のある女医さんがSNSで私を見つけ
「Clubhouseで一緒に話しませんか?」
と声をかけてくれました。

いきなり見ず知らずの人と
SNSで番組をやるなんてどういうこと?
と躊躇がなかったわけではありませんが、

 

発信者になると決意した私は
チャレンジすることにしました。

そうして始まった私たちのClubhouse番組、
「女医達のリアル子育て珍道中」!

 

登録者600名を越える人気番組に成長し、
教育やお金の専門家をゲストにお招きして
子育てに役立つ情報を
たくさんお届けすることができました。

日常的にテレビで目にする有名人や、
各界のトップランナーの方も
快くゲスト参加して下さって、

 

そんな方々と気軽にDMをしたり、
少人数でじっくりお話しをしたりという
夢のような体験をさせて頂きました。

 

億を稼ぐ経営者、ベストセラー作家、
情熱大陸に出演するプロフェッショナルたち。

「生きる世界がちがう」と思っていた方と
SNSを越えて直接お会いすることも叶い、
価値観が大幅にアップデートされました。

 

新しい出会いに、こんなにも
胸が躍ったのは久しぶりです!

発信者になる勇気を持った自分、
怖くても一歩踏み出した自分が、
発信者という新しい世界へと
連れて行ってくれました。

 

殻を破った起業へのチャレンジ


​このように楽しいこともありましたが


「パートナーを失い、収入も激減し、
幼い子をかかえるシングルマザーになった」
という状況は何ひとつ変わっていませんでした。

 

満員電車で通勤し、神経をすり減らす仕事を
しても、時短勤務でお給料は以前の半分。

なにより嫌だったのが、
リモートワークができないことでした。

 

コロナ禍でリモートが一般化した中でも、
病院という特殊な環境でしか働けない私は
通勤から逃れられませんでした。

そんな現実に嫌気がさしながらも、
「私には医者しか稼ぐ術がないから、
仕事と育児の両立を頑張るしかない」
と半ば諦めていました。

しかし、SNSで出会った方々の
生活が頭をよぎります。

・起業して当たり前のように億を稼ぐ
・海外を自由に飛び回り、世界各地に不動産を所有
・ほとんど労働しておらず、
24時間を好きなように使える
・パソコンやSNSがあれば仕事が成り立つ
・子どもの教育費や家族旅行に
好きなだけお金を使える

などなど。

 

中でもインパクトが強かったのが、clubhouseの
ご縁で出会った、年商10億を超える
作家・編集者・起業家の長倉顕太さん。

 

お会いできた嬉しさで興奮しすぎて娘の抱っこの仕方がおかしい笑

 

 

 

「絶対にコンテンツビジネスをした方がいい」
「学んで、行動すれば、誰にでもできる」

そう、断言されていたのです。

リモートワークができないもどかしさ、
自分の時間を必死に労働や子育てで
すり減らす生活に虚しさを感じていた私は

・時間や場所に縛られない仕事がしたい!
・パソコン1つで収入を得られるスキルを
身につけたい!
・自分の時間がたっぷり欲しい!
・私ももっと楽しく自由に働いて稼ぎたい!

そんな想いを抱き
「好きな時間に、好きな場所で働くスタイル」
に強く憧れるようになりました。

そして、それを憧れで終わらせないために、
長倉さんのおっしゃっていた通り、
学んで、行動しました。

 

これは医師の月収ですか?
と思うような高額を支払って
ビジネス講座を受講したり、

 

公募していないあさぎさんの個別コンサルを
直談判して受けさせて頂いたり。

 

やれることは全てやろう!
パソコン1つで稼げるようになるんだ!!!
と決意し、がむしゃらに行動し続けました。

右も左もわからないまま、
最初は無料のお悩み相談会からスタート。

 

慣れてきたところで
有料のサービスをご案内してみましたが、
お断りされる度に心が折れました。

 

1円も稼げないまま、
「やっぱり私には無理だったんだ」
「医者の収入があるのだから、おとなしく
医者をやっていこう」
と何度も諦めそうになりましたが、

 

なりふり構わず挑戦し続けた結果、
起業2ヶ月で12万円のコンテンツを
販売することができたのです!!!

0からのスタートだった私が、
オンラインで高額のサービスを
ご提供できるようになったんだ!
本当に、学んで行動すればできるんだ!!!
と震えました。

ビジネスを通して、
「自分次第で、人生は思い通りになる」
「生きたい人生を明確にしたら、それは叶う」

この言葉が真実であることを確信していきました。

 

なんと、文字数制限を越えてしまったので、

後編はこちらからどうぞ!