ずっと書き残しておこう、と思って何となく手が進まなかったけれど、今朝この番組を観て何となく繋がったような、そうだよな、と思って今書き出しました。
それは、志村けんさんの訃報。
事態が事態、亡くなった原因が原因だけに、そして病気になられてから早すぎた死。
まさかのもちろん知り合いではないけれど、顔を知ってる方で初めてこの病気で亡くなった方を目の当たりにし、テレビでも言われていたけれど、みなさんこれは物凄く大変な病気なんだ、と初めての危機感を身近に抱いた方も多かったのでは、と。
どこかの誰かの知らない人の死、ではなく。
私もその一人だった、と言ってもいい。
志村さんの番組を毎回観ていた、とか特別ファンだった、ということではないけれど、とてもとてもショックが大きくて。
ニュースを見るたびに涙が出てきました。
小さい頃からドリフも加トちゃんケンちゃんやだいじょぶだぁとか色々観てた。
夫が言っていたけど、この人を嫌い、と言う人見たことないよね、と。
私もその一人。
沢山笑わせてもらいました。
その後、志村さんの特別番組を観ては涙がとまらず、そのお人柄がいっそう悲しいものにしました。
なぜここで志村さんが選ばれて天に召されなければならなかったのだろう、とか考えました。
そして、私の父親と同じ年齢でした。
また重ねたところもありました。
父は今健在ですが、ちょうど病と闘っているところでもあり、命に関わる病ではないですが、思いが色々と交錯しました。
今朝、首里城の番組を観て地元の方々いわく、遠くから眺めては元気をもらったり、だけど近くに行ったり入ったりはしなかった。
あるのが当たり前過ぎて、なくなって初めてその偉大さ、有り難さがわかった、と。
親のようでもあった、と。
亡くなって初めてその偉大さ、有り難さを知るような。
生きている時はまだまだ元気で当たり前だと思っているけれど、命あるものはいつか亡くなる。
その命の果てが突然だと余計にやりきれない。
首里城焼失、志村さんの突然の死、自分の親のこと、熊本城の話も出てきたけれど、突然の大地震。
あるのが当たり前、その町のシンボル的存在、国民的人気を誇った偉大なコメディアン、自分の親は例外、ではない。
あるのが当たり前ではなかったんだな、とまざまざと。
ありがたい存在、漢字で「有り難い」、
当たり前じゃなかったんだな。
今、この状況になって、当たり前の生活が当たり前に出来なくなっている。
今人間に当たり前の生活も、当たり前ではないんだよ、と地球から自然から色々と教えられているんだろう、とも思います。
目を覚まさないと。
感謝を忘れてはいけない。
何に生かされているのか。
何を大切にしないといけないのか。
もちろん自分を含め、考えなおさないと。
地球、大地、自然を前にして人間はちっぽけだなぁ、と。
敵うはずがないんだ。
でも時には闘い、最終的にはわかり合い、分かち合い、共存共生しなれけばいけないのではないかな。
カタチあるものはいつか壊れるかもしれない、でも首里城や熊本城は人の手で熱い想いで、またいつしか復活出来る。
人は蘇らないけれど、記憶の中にとどめておくことは出来る。
改めて、志村けんさん、安らかにお眠り下さい。
心からお悔やみ申し上げます。
その笑顔と優しさとくださった笑いとその力を忘れません。