今日も
「今回の病気」
の
vol.15
です
3日連続
お付き合いください
昨日
平成24年の8月に
入院した時の
お話をしました
一昨日
入院するのに
入院の準備が出来なかった
お話をしました
(お時間がありましたら「入院、したけれど。。。」を読んでください)
では
入院に必要なものを
誰が
揃えてくれたのか
それは
大学のゼミの仲間たち
でした
仲良し四人組
みんな
仕事が忙しいのに
(なんと結婚したのは4人中1人だけ)
誰が何を待っていくか
を
メールで話し合って
それぞれが
病院に持って来てくれました
本当に
有難いことです
今
思い出しても
感謝しかありません
私には
弟がひとりいます
が
弟には
連絡出来なかったのです
でも
そのゼミ仲間のひとりに
やっぱり弟には言っておいた方が良い
と
言われ
仕方なく
弟に連絡しました
仕方なく
と言うのは
私は私の姿を
弟に
見せたくなかったのです
弟は
すぐに来ました
そして
私の姿を見て
びっくりし
すぐに主治医と話がしたいと
言って
主治医と会えるまで待っていました
そして
主治医と会って第一声
「大丈夫なんでしょうか」
と
うっすら
目に涙を浮かべて聞きました
平成20年に母が亡くなり
平成22年に父が亡くなり
そして
平成24に今度は
姉か
と
思ったのでしょうか
その時の主治医の答えは
確か
「大丈夫だとは思いますが、1週間様子を見させてくれ」
だったと思います
1週間が2週間か
ちょっと自信ないですが
とにかく
様子を見させてくれと
そして
なんとか
生き延び
酷い状態で過酷な2ヶ月を過ごし
岡山の病院に転院することになります
岡山の病院へ
どうやって行こうか
電車に乗れるのだろうか
と
思っていたら
ゼミの友人のひとりが
車で送ってくれました
本当に感謝です
が
病院に着いて
入院の手続きをしようとすると
大阪の病院との連絡がうまくいっていなかったのか
ベッドが空いていませんでした
(これ、今改めて思うと酷い話ですよね)
それで
岡山まで来て
帰るわけにもいかず
結局
痴呆老人の病棟に入れられてしまいました
(これもひどいよな)
その時
相部屋と個室
どちらが良いかと聞かれ
個室は料金が高かったのですが
「個室で」
と
即答してました
そこは
想像以上に
過酷な環境
でした
部屋のドアを開けると
そこは
もう
想像を絶する
大変な世界
でした
そして
そのうち
部屋の外だけではなく
部屋の内も
大変なことになっていきました
とにかく
毎日
毎日
髪の毛が抜ける
その時
私は髪が長かったので
白いシーツに落ちる髪の毛が
余計に多く見えました
掃除のおばさんが
びっくりして
よっぽど
気の毒に思ってくれたのか
小さな箒を持って来てくれ
「これで下に落としておいたらおばちゃんが掃除してあげるから」
と
言ってくれたのを
覚えています
次第に
地肌が見えるようになり
毎日
毎日
恐怖で
押しつぶされそうになりました
そして
思い切って
髪をショートにしました
そうすると
シーツに落ちる髪の量が
少なく感じるかなと
どうやら
血液が栄養を運んでくれない
ので
だから
どんどん
痩せていき
しまいには
髪も抜け
そして
爪もボロボロに
なっていきました
人間ってこんなことになるんだ
と
私の部屋は一階
大きな窓があり
そこからすぐに外へ出れました
私の部屋の前の景色です
夜はとっても星が綺麗でした
私は
毎晩
その星を見ながら
タバコを吸っていました
そう
私は
お酒はやめましたが
タバコはやめられませんでした
と言うか
タバコを吸ってる時だけ
ホッとしていたのです
この続きは
また
今日もありがとうございました