「第8回学ばない学び舎」
たくさんの方にご参加いただき
満員御礼で開催いたしました照れ

今回のゲストは
本山修験宗の総本山である
京都聖護院門跡第52世門主 宮城泰年さん

山に入って修行をする山伏であり
聖護院の門主である泰年さん

実は私、31年前に一緒に
大峰奥駆修行を行いました。
200キロもの山道をただ、ただ歩く。
それはそれは過酷な修行でした。
その縁で今回のゲストにお迎えしましたおねがい

{ED94F33F-D272-4029-84E5-BBE45DE321CD}

私の「話し方講座」を受けた方や
昔からの友人がスタッフとして
手伝ってくれていますウインク
テキパキ動いてくれる仲間たちには
感謝感謝ですドキドキ

{44FC31C2-2618-4B88-AF6B-0C4970D7DEBE}

靡き(なびき)八丁斧入れず
山の頂上から八丁の間は
木に斧を入れてはいけない。
「木を切るな」ということ。
木は隣の木と、土の中でからまりあって
均衡を保っている。
むやみに切ると、木は立っていられない。
「帝釈天の宝石網」
自然界も人間界も
関わり合い、つながりあって
一つの世界を成している。

{7B656ECA-8B93-43A2-9890-4461A1771F31}

山での修行は命がけ

先達が長い間通ってきた道は
常に意味がある。
「こっちから行った方が
はやいんじゃないか」
慣れた道で、
そんな思いが頭をよぎり、
近道をして、
危うく命を落としかけた。
幽体離脱を体験した。

{A9AEA6D8-76E0-469E-9F54-4F45A7BC5DD3}

山での修行「西の覗き」⬇️
足だけを持って崖から吊るされ
そこで、こういうことを先達に言われます

「升目 はかりめ正しゅうせい。
他人の土地をせせるでないぞ。」

「はい‼️」と
大きな声で返事をし、心に誓う。
升で計るもの、天秤などで量るもの
当時はお米など大切なものを
少しずるして減らしたり、
他人の土地をほんの少しずつ
その境目を自分に有利に線引きする、、
一年も経てば
大きな違いがでてきます。

{FEC880FC-8C7C-4284-81BB-A8ACB99E611B}

火渡りや滝行など、
火や水の行(修行)は、
もちろん熱いし冷たい。

火や水を対象物として見るのではなく、
火と、水と「一体になる」

{171E9FD3-7E61-49FE-84F4-BBB1A3457EF4}

「人はみな、
仏になれる性質をそなえている」
ただ、煩悩にまみれると
それが自分の中にあることを
見失ってしまう。

「眼・耳・鼻・舌・身・意」
視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識
五感プラス意識の
「六根」を清らかに保つことを
「六根清浄」といいます。
これを奥駆修行では掛け声のようにして
歩きます。

「歩く」「ただ歩く」
それによって「六根清浄」

{FF529282-5ACF-4E5A-90F7-3934DC6AAEBE}

「あの人は大体そういう人だから」
といった言葉を鵜呑みにしない。
その時どうなのかは、
自分で確認しないといけない。
山で体験したことを
現代社会になぞらえて
私たちにたくさんのことを
伝えてくださいました。

{CD3A6282-37F4-4E58-8B12-653E9481E4CE}

現代人は修験の世界から何を学ぶか

それは、
「自分の足で歩くということ」だけでなく
アナログの世界や人間関係、
そして「人から学ぶ」ということ。

先達がどうやって山を歩くのか
よく見て、真似して学ぶ
歩き方や人間性を学ぶことで
自分が見えてくる。
反省と慢心の繰り返しから
「動じない心」が生まれる

{71062054-DFC0-4E92-BEEA-1E9828409C83}

86歳の泰年さんが
自分の体で学んだことを
わかりやすく
京都なまりの優しい言葉で
話してくださいました。

うまくいった話ではなく
自分の反省をたくさん話してくださいました。
さまざまな経験をし、
たくさんの人を見てきた方は
こんなにも力強く、そして優しい。

泰年さんの笑顔が
ずっと目に焼き付いています。

私が20歳の時、
大峰奥駆修行で泰年さんと出会えて
本当に良かった照れ
ご縁に心から感謝します✨

たくさんの方にご参加、ご協力いただき
本当にありがとうございました❣️

「学ばない学び舎」についての記事はこちら⬇️