「第8回学ばない学び舎」
「升目 はかりめ正しゅうせい。
たくさんの方にご参加いただき
満員御礼で開催いたしました![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
今回のゲストは
本山修験宗の総本山である
京都聖護院門跡第52世門主 宮城泰年さん
山に入って修行をする山伏であり
聖護院の門主である泰年さん
実は私、31年前に一緒に
大峰奥駆修行を行いました。
200キロもの山道をただ、ただ歩く。
それはそれは過酷な修行でした。
その縁で今回のゲストにお迎えしました![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
山の頂上から八丁の間は
木に斧を入れてはいけない。
「木を切るな」ということ。
木は隣の木と、土の中でからまりあって
均衡を保っている。
むやみに切ると、木は立っていられない。
「帝釈天の宝石網」
自然界も人間界も
関わり合い、つながりあって
一つの世界を成している。
山での修行は命がけ
先達が長い間通ってきた道は
常に意味がある。
「こっちから行った方が
はやいんじゃないか」
慣れた道で、
そんな思いが頭をよぎり、
近道をして、
危うく命を落としかけた。
幽体離脱を体験した。
山での修行「西の覗き」⬇️
足だけを持って崖から吊るされ
そこで、こういうことを先達に言われます
他人の土地をせせるでないぞ。」
「はい‼️」と
大きな声で返事をし、心に誓う。
升で計るもの、天秤などで量るもの
当時はお米など大切なものを
少しずるして減らしたり、
他人の土地をほんの少しずつ
その境目を自分に有利に線引きする、、
一年も経てば
大きな違いがでてきます。
火や水の行(修行)は、
もちろん熱いし冷たい。
火や水を対象物として見るのではなく、
火と、水と「一体になる」
仏になれる性質をそなえている」
ただ、煩悩にまみれると
それが自分の中にあることを
見失ってしまう。
「眼・耳・鼻・舌・身・意」
視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識
五感プラス意識の
「六根」を清らかに保つことを
「六根清浄」といいます。
これを奥駆修行では掛け声のようにして
歩きます。
「歩く」「ただ歩く」
それによって「六根清浄」
といった言葉を鵜呑みにしない。
その時どうなのかは、
自分で確認しないといけない。
山で体験したことを
現代社会になぞらえて
私たちにたくさんのことを
伝えてくださいました。
現代人は修験の世界から何を学ぶか
それは、
「自分の足で歩くということ」だけでなく
アナログの世界や人間関係、
そして「人から学ぶ」ということ。
先達がどうやって山を歩くのか
よく見て、真似して学ぶ
歩き方や人間性を学ぶことで
自分が見えてくる。
反省と慢心の繰り返しから
「動じない心」が生まれる
自分の体で学んだことを
わかりやすく
京都なまりの優しい言葉で
話してくださいました。
うまくいった話ではなく
自分の反省をたくさん話してくださいました。
さまざまな経験をし、
たくさんの人を見てきた方は
こんなにも力強く、そして優しい。
泰年さんの笑顔が
ずっと目に焼き付いています。
私が20歳の時、
大峰奥駆修行で泰年さんと出会えて
本当に良かった![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
ご縁に心から感謝します✨
たくさんの方にご参加、ご協力いただき
本当にありがとうございました❣️
「学ばない学び舎」についての記事はこちら⬇️