こんちは!ゆかっぺです。(●´∀`●)∩
この前 ふと、昔 大好きだった、あるお婆ちゃんの事を思い出した。
それは私が、教えがめっちゃ他人軸の、眠りの宗教に通っていた20代の頃、そこにいらっしゃった『小馬(こうま)のお婆ちゃん』という方だ。
小馬のお婆ちゃんは、見た感じからして、当時80代ぐらいだったと思う。👵
背が小さくて、背中が丸くて、いつもにこにこしていて、とても可愛らしいお婆ちゃんだった。
小馬のお婆ちゃんに会うと、いつも「あんた!よぉ~頑張っとるな~」と、私は何をしているわけでもないのに、シワくちゃの笑顔で 私の事を誉めてくれた。
道端で会うと「あんた!これいるか?」と、持ってる手さげカバンを地面に置き、丸い背中をもっと丸めて、手さげカバンの中からゴソゴソと、饅頭を1個取り出して、私にくれたりした。
私が何か買おうとする時も、孫にするみたいに「お婆ちゃんが払ってあげようか?」と、手さげカバンを地面に置いて財布を出そうとするので、「いやいや小馬さん、お金はあるから大丈夫よ~」と、お気持ちだけ頂いて、私はお婆ちゃんの優しさに、いつも嬉しい気分になった。💓
きっと小馬のお婆ちゃんは、私にだけでなく、誰に対しても、普通にそんな風にしていたんだと思う。
そして小馬のお婆ちゃんは、いつも「ありがてぇ、ありがてぇ」と言っていた。
座っていても立っていても、どこにいても、何をしていても、していなくても、両手を合わせて「ありがてぇ、ありがてぇ」と言う。🙏
そこの宗教には、うちの母親と同い年ぐらいの、小馬のお婆ちゃんの娘であるMさんもいて、ある時、Mさんが話をしてくれたのだけど、Mさんが 小馬のお婆ちゃんを、家まで車で送った時(Mさんは、小馬のお婆ちゃんとは別の家に住んでいる)、家の前でお婆ちゃんを降ろし、そのまま自宅へと車を走らせ、ふとバックミラーを見たら、小馬のお婆ちゃんは、Mさんの車の方を向いて、ずっと手を合わせていたそうだ。🙏💓
Mさんは、そんな母親である小馬のお婆ちゃんを「この人はすごいなと思った。」と言っていた。
私は、普段のお婆ちゃんを知っているので、その話を聞いて「やっぱり小馬さんだ❗👍」と、とても納得したし、Mさん同様「ホントにすごい!」と思った。
小馬のお婆ちゃんは、24時間「ありがてぇ(感謝)💓」がオートマチックに発動していて、どういう生き方をしたら、こんな風になれるんだろうと、その時の私は思った。
そして、ある時、宗教の会場のトイレで、私がトイレ待ちをしていたら、用を足し終わった小馬のお婆ちゃんがトイレから出てきた。
小馬のお婆ちゃんは、トイレから出るなり、手を合わせて「ありがてぇ、ありがてぇ」と言いながら歩いていったので、
「え⁉️ここも⁉️」
と、こんな時まで「ありがてぇ」と言っているお婆ちゃんにびっくりした。
トイレがある事に感謝しているのか、自分で元気に用が足せる事に感謝しているのか、ぼっとんでなく、水洗便所である事に感謝しているのか、音姫で おならやジョロジョロした音を消せる技術に感謝しているのか、はたまたトイレをいつも綺麗に掃除してくれる方に感謝しているのか、とにかく小馬のお婆ちゃんは、一瞬一瞬ありとあらゆる事に感謝しまくっている。🎉
うちの母親なんか、ずり下ろしたズボンを引き上げながら、家のトイレから出てくるというのに、トイレから出てからの行動も十人十色なのだな~と思った。🚽
私も50(歳)を過ぎた今、なんとなく自分の母親に行動が似て来つつも、トイレの件は 母親を反面教師とし、お陰さまで ズボンを引き上げながらトイレから出るような事は、今んとこ かろうじてしてはいない。
けど、「ありがてぇ」の感謝能力は、まだまだ乏しいような気がする。😓
私も小馬のお婆ちゃんみたいに、「ありがてぇ」がオートマチックに発動される自分になれたら最強だと思うし、そこに近づいて行きたいと思う。💪
もし、小馬のお婆ちゃんが、ポックリ亡くなって(もう年齢的に亡くなられているとは思うけど)、気が付いたら、今まで見たことのない あの世の世界にいたとしたら…?🤔
きっと小馬のお婆ちゃんは、
「あら⁉️ここはどこかね~👵❓️❓️❓️」
となっても、どこからか
「ここは天国じゃ~」
と天の声が聞こえたら、もう次の瞬間には、
「天国かありがてぇ、ありがてぇ💓」
と手を合わせていそうな気がする。🙏
いつか私があの世でまた、小馬のお婆ちゃんと会って、再び「ありがてぇ、ありがてぇ」と手を合わせてるのを見かけたら、
IT'S オートマティック‼️☝
って、言いたいと思う。